日本シリーズで代打サヨナラ満塁弾。
ヤクルト杉浦亨はカチカチだった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――1992年のシリーズについて当時のスワローズナインにお話を伺うと、戦前には「4連敗するかも?」とか、「せめて1勝はしたいと思っていた」と話していました。杉浦さんはどのように見ていましたか?

杉浦 僕は、いい勝負をすると思っていましたよ。ヤクルトが初優勝したときの1978年のシリーズでは、王者・阪急ブレーブスに「絶対に勝てないだろう」と思っていたけど、このときの西武に対しては「互角だろう」という思いでしたね。

――その根拠は何ですか?

杉浦 確かに向こうもすごいけど、こっちだって戦力は充実していましたから。広沢(克己/現・広澤克実)、池山(隆寛)、飯田(哲也)と、意外性のあるいいバッターがそろっていましたし、(ジャック・)ハウエルもいいバッターでしたからね。このときの西武ナインはすでに大人の集団でしたけど、ヤクルトはまだ伸び盛りというか、まだまだ伸びしろがあるというか、"やんちゃ集団"でした。だから、勢いがつけば「ひょっとしたら?」という思いはありましたね。

引退決意を撤回させた「悔しい場面」

――結局、1992年は第7戦までもつれ込んだものの、3勝4敗でスワローズは敗れました。本当はこの年限りでユニフォームを脱ぐつもりだった杉浦さんは、野村監督に直訴して現役を続行することになりました。その経緯を教えて下さい。

杉浦 1992年シーズンはほとんど出番がないまま、シーズン終盤になって野村監督の恩情で一軍に上げてもらいました。でも、自分では「これが限界だろう」と思っていたので、カープとの最終戦には、(山本)浩二さんに「長い間、ありがとうございました」ってあいさつもしていました。でも、この日本シリーズで最後の最後に悔しい場面があって、「もう1年だけ続けさせてください」って直訴をしたんです。

――「悔しい場面」について、詳しく教えて下さい。

杉浦 1992年の第7戦、僕が代打で出た場面です。

――3勝3敗で迎えた第7戦。得点は1-1の同点、7回裏ワンアウト満塁の場面、代打で登場したのが杉浦さんでした。ここで杉浦さんは一、二塁間にゴロを放ちます。ライオンズのセカンド・辻発彦選手がこれを好捕。体勢を崩したままバックホームしました。送球は高めに浮いたものの、三塁走者の広沢選手がホームでアウトとなった場面ですね。

杉浦 初戦で満塁ホームランを打っていたので、「絶対に高めのボールはこないだろう」と読んでいました。そして、インコースだと抜け球が怖い。だから、外の低めを投げる可能性が高いと思っていました。そうなると、「外野フライを打つのは難しい。ならば、低めのボールを引っかけて、一、二塁間にゴロを打つしかない」と考えていたんです......。

(後編に続く)

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