2019.05.01

杉浦享が引退撤回でもう1年と決意。
きっかけとなった広澤克実のあのプレー

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(28)
【ベテラン】ヤクルト・杉浦享 後編

「広沢のスライディングはベストではなかった」

――1992年の日本シリーズ第7戦。1-1の同点で迎えた7回裏ワンアウト満塁の大チャンス。対戦したのは石井丈裕投手でした。

杉浦 スライダーが抜群の投手でしたね。僕の場合、インサイドのボールに詰まることはほとんどないんですけど、石井くんの場合はしっかり詰まらされました。曲がりが急だし、すごくいい角度で曲がってくるんです。とても打ちづらい投手でした。

杉浦のサヨナラ打で、1992年の日本シリーズ初戦を取ったヤクルトだったが・・・・・・ photo by Sankei Visual――前回の続きとなりますが、初戦で鹿取義隆投手から満塁ホームランを打ったことが伏線となって、「アウトコース低めのボールがくるだろう」と読んで打席に入って、まさに、狙い通りのゴロを打ちました。しかし、三塁走者の広沢克己(現・広澤克実)選手はホームでアウトとなりました。

杉浦 はい。だから、広沢のスライディングはベストではないように見えました。満塁でゴロを放ったのに、スタートが遅れているんです。後にこの場面の映像を見たら、広沢は一度戻ってからスタートをしていました。そして、そのまま真っ直ぐホームベースを目指すべきところ、回り込んでスライディングをしていました。何とかバットの先に引っ掛けてゴロを打ちましたが、結局は得点できなかったんです。

――この場面がきっかけとなり、「もう1年、現役を続けよう」と思ったわけですね。

杉浦 前回も言ったように、僕は「今年のヤクルトはとても強いチームだ」と思っていました。だから、「この悔しさがあれば来年はもっと強くなるだろう。絶対に日本一になるだろう」という確信がありました。だから、もう1年続けたいと思ったんです。それで野村さんに「今年限りで辞めようと思っていましたが、来年このチームは絶対に日本一になるから、もう1年だけ置いてください」と頼みました。すると、「やりたいのなら残ってもいい」と言われたので、もう1年だけ続けることにしたんです。

――仮に1992年に日本一になっていたら、思い残すことなくユニフォームを脱いでいたのですね。

杉浦 間違いなくやめてます。そもそも、そのつもりだったんですから。でも、この悔しさがあったから、翌年もプレーすることになりました。正直に言えば、現役生活が1年延びたことがうれしいのではなく、もう1年続けることは「悔しい」という感覚だったんです。「日本一になってやめたい」という思いのほうが強かったんですよ。

――結果的に、翌1993年のスワローズは日本一となりました。やはり、杉浦さんが考えていたように、チームのムードはガラリと変わったのですか?

杉浦 大きく変わりましたね。池山にしても、飯田にしても、古田にしても変わりました。明らかに前年よりも、強く、たくましいチームに変わったと思いますね。