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「それは仙さん、筋が違う」
山田久志は島野育夫の阪神移籍に抗議した (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 実際、山田が解任された後、佐々木恭介ヘッドコーチが率いたチームは連勝を続け、2位になっている。

 あの時にサッチー問題が起こらなかったらどうなっていたでしょう?と問うた。

「それだったら、星野、山田のタッグがもう1回あったかもわからんね。それでおそらく日本一を取っている可能性がありますね。私は自信があった」

 しかし、それを壊してしまったのは星野本人である。普通ならば梯子を外されたと思う。心中、複雑な感情の相克がなかったはずがない。それでも山田は笑みを湛えて言うのだ。

「最後に仙さんに会ったのは、すぐそこ(取材は芦屋のホテルで行なわれた)の歩道ですよ。仙さんは車に乗ってきて、歩いている私に声をかけた。『おお、山田』と言って。『あれっ、仙さん、どこ行くの?』『いや、ちょっと』『暇ならちょっとそこのホテルでお茶飲もう』『いや、今すぐ行かなあかんねん』と話して、それが最後です。亡くなる直前の11月ぐらいでしたね」

 中日は、谷繁の衰えと期を同じくして長いトンネルに入った。昨季は6年連続のBクラスという球団史上のワースト記録を更新してしまった。正捕手はまだ定まっていない。

 換言すれば、それだけバッシングを恐れずに打った17年前の山田の妙手は大きかったということである。

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