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「それは仙さん、筋が違う」
山田久志は島野育夫の阪神移籍に抗議した (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 実際に名古屋は本当に難しいところだった。往年の阪急ファンからすれば、いたたまれないような仕打ちであるが、それでも山田は恨み言を一切言わず、今でもCBC(中部日本放送)のドラゴンズの応援番組に出演しては、ポジティブな発言を続けている。

「愚痴など言いませんよ。なんでCBCにお世話になるかと言ったら、前の社長をやった会長の夏目(和良)さんが、コーチ時代から私を気にかけてくれたんです。それはとても大切なことで、夏目さんは、私が解任される2日前ぐらいに、実は監督室に来られたんです。あの時、だいたい会長は(解任が)わかっていたんでしょうね。でもそれを言わないで顔を見て帰るんですよ。私が名古屋で一番うれしかったことです」

 中日は東海地方で唯一のプロ野球チームということもあり、しがらみも多く、いわゆる選手個々のタニマチの影響も大きい。

 とくに山田が就任したときは、主力のふたりの仲が険悪で、チームが瓦解しかねない空気もあった。これらを整理、払しょくして勝ちに向かうひとつの集団にするためには、憎まれ役を厭わない人物の荒療治が必要であった。

 ほとんどの人からはヒールと目されたが、それでも外様である山田が、何を成し遂げてくれたのか。理解している人物が名古屋にもいた。その恩を山田も忘れていない。

「私は、監督として成功したとは言わないんだけれども、中日の選手の能力というのは、見極めてこれだなと自分の中では思ったわけです。私が自分でツイてないということを考えれば、あの時、1年目はジャイアンツにぶっちぎられて、2年目は阪神にぶっちぎられて、それが星野さんだったでしょう。あそこが中日の会社全体が許せないということになったんじゃないかと思うね。でも、ようやく3年目は上位2チームと対等に戦えるという気持ちでずっと見ていたから残念だった」

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