2019.04.09

笘篠誠治がセンターから見た工藤公康の凄さ
「あれじゃ相手は打てない」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(21)
【伏兵】西武・笘篠誠治 前編

(前回の記事はこちら>>)

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の11人目。

 第6回のテーマは「伏兵」。代走や守備固めとして、勝敗の行方を左右する大事な場面で登場した男たちのひとり、西武・笘篠誠治のインタビューをお届けしよう。

ヤクルトに入団した弟・賢治と共にプロ野球で活躍した笘篠誠治 photo by Sankei Visual弟・賢治との「兄弟対決」が楽しみで仕方なかった

――1992年、1993年の日本シリーズはライオンズとスワローズとの息詰まる熱戦となりました。当時のご記憶はありますか?

笘篠 よく覚えていますよ。この頃、弟(笘篠賢治)がヤクルトにいたので、「とにかく負けられない」という思いが強かったですね。弟はレギュラークラスの選手でしたから、うちの投手陣には、「弟だけにはヒットを打たせないでくださいよ」とミーティングでしょっちゅう言っていました(笑)。

――当時の記事を読むと「兄弟対決」というフレーズが紙面に踊っていますね。

笘篠 弟が大学からヤクルトに入ったときに、「2人が現役を引退するまでに、一度は日本シリーズで戦いたいよな」と話しました。当時の西武は黄金時代だったけど、ヤクルトはずっとBクラスが続いていたので、「うちは毎年(シリーズに)出るんだから、何とか一度でいいから、ヤクルトに優勝してほしい」と。

――1992年にスワローズが、14年ぶりにリーグ制覇を決めました。ついに「兄弟対決」が実現したわけですね。

笘篠 初めて対決が実現するということで、楽しみで仕方なかったです。たぶん、弟はスタメンで出てくるだろうと思っていたので、「普段とはかなり雰囲気は違うけど、緊張するなよ」ってアドバイスしたことを覚えています。

――1990年、1991年と日本一に輝き、この頃のライオンズは黄金時代の真っ只中にありました。当時のライオンズの雰囲気、そして対するスワローズの印象はいかがでしたか?

笘篠 「日本シリーズは勝てるものだ」と思っていましたし、ヤクルトに対しても”強いチーム”という印象はなかったです。極端な話、「普通に戦えば全勝できるんじゃないの?」と思っていました。当時のことを弟に聞くと、「この頃のヤクルトは団結力があった」と言うんですけど、西武の投手と野手陣の団結力はそれ以上に強かったんじゃないでしょうか。「西武は負けない」って心から思っていましたけど、それは「ヤクルトが弱い」という意味ではなくて、「西武が強すぎる」という意味ですね。