「獲るつもりのなかった選手」杉谷拳士が栗山監督に言わせたいひと言 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 小池義弘、スポルティーバ●写真 photo by Koike Yoshihiro,Sportiva

 ファイターズは予算内で効果的な編成をするために、2004年にBOS(ベースボール・オペレーション・システム)を導入し、選手の数値化を図った。チームの選手、他球団の選手、アマチュアの選手を複雑な独自の公式で数値化し、順位づけの指標としてきたのだ。ドラフトの候補に挙がったアマチュアの選手がすぐにファームの試合に出られるかどうかをチェックし、そのレベルに達したと判断すれば指名する。杉谷は2008年のドラフト6位で指名されてファイターズに入団したのだが、じつは彼の指名はテストケースだったと、大渕隆スカウト部長が明かす。

「現場レベルでは、彼は体力、技術面でプロのレベルには到達していない、という判断でした。しかも、これからの伸びしろも見出せなかった。でも、杉谷は性格面が図抜けていたんです。元気があって、やる気があって、必死で、やたらと声がでかい(笑)。精神面はプロなんです。こういう選手がどこまで通用するのかという点で、彼は、僕たちにまた新たな見方、違った視点を必要とされるのかどうかの試金石になっていました」

 そして杉谷はプロ2年目の2010年、ファームで133安打を放ち、イースタン・リーグでの最多安打の記録を12年ぶりに塗り替えた。2011年にはフレッシュ・オールスターで優秀選手賞を獲得、プロ4年目の2012年にはプロ初ホームランを放つなど、一軍で結果を出した。しかし、そこから伸び悩む。2013年には中島卓が、2014年には西川が、2015年には近藤がレギュラーに定着した。

「僕は性格的な面をこの球団に気に入ってもらっていたというのは聞いていたので、そこを評価されてドラフトで指名されたということはわかっていました。『本当は獲るつもりのない選手だった』とハッキリ言われましたし、担当スカウトからは『社会人を挟んだほうが指名順位も上がる』とアドバイスもされました。でも僕はどうしてもプロに入りたかったし、内心では打つほうにも自信があったんです。

 いざプロに入って1年目、プロのピッチャーはすごいなとは思っていましたけど、2年目には二軍で記録をつくって、3年目の一軍は満を持してという感じだったんです。実際、最初はすごくいい形でデビューすることができたんですけど、一軍のピッチャーを経験していくうちにレベルの高さを知ってしまって、結果を残せなくなりました。一軍のピッチャーはコントロールがすごくよかった。1打席で1球、甘い球が来ればいいほうで、二軍のピッチャーはファウルで粘っていればやがて真ん中に入ってくるんですけど、一軍のピッチャーには投げ間違いがありません。

 とくに度肝を抜かれたのは岸(孝之、当時はライオンズ/現・イーグルス)さんで、初めて対戦した時、『うわっ、こんな球を投げるピッチャーがいるんだ』と驚きました。ボールが止まるチェンジアップにはホントにビックリさせられたし、カーブは真上からストーンと落っこちてくる。いやいや、これはこの世界ではオレは無理だなって、とんでもなく高い壁を感じさせられたんです」

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