2018.10.09

ヤクルト荒木大輔は熱投→敗戦。
石井丈裕は西武の勝利に複雑だった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(9)

【同級生】西武・石井丈裕 前編

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 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ80年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた、両チームの当事者たちに話を聞く連載の5人目。

「参謀」に続く第3回のテーマは「同級生」。今回は、西武の石井丈裕のインタビューをお届けする。

1992年に沢村賞、日本シリーズMVPに輝いた石井丈裕 photo by Kyodo News荒木大輔と投げ合うことが嬉しかった1992年シリーズ

――早稲田実業高校時代の同級生・荒木大輔投手を擁するスワローズと、ライオンズが激突した1992年、1993年の日本シリーズから四半世紀が経過しました。

石井 人間というのは勝手なもので、いいことは覚えているんですけど、悪いことは忘れやすいですよね。1992年は一応、シーズンで活躍できて日本シリーズでも優勝し、シリーズMVPもいただいた。だけど、1993年は主力として起用してもらったのにシーズン後半は体がボロボロで、本当にキツかったという印象しか残っていません。

――1992年の日本シリーズは、荒木投手との比較から「同級生対決」と騒がれました。ご本人はどんな意識だったのですか?

石井 「特別な意識はなかった」と言えばウソになりますね。やはり、僕自身も試合で投げる以上、「彼にもいいところを見せたい」という思いはありました。

――高校時代は荒木投手がエースとして大活躍して、日本中の注目を浴びていました。一方の石井さんは、当時は控え投手でした。その辺りについての意識はいかがですか?

石井 当時は、そのこともよく言われていたけど、その点についてはあまり意識していなかったです。高校時代、僕は二番手だったけど、僕を含めたみんなが「大輔のおかげで甲子園に連れていってもらった」って考えていました。それは当時の和田(明)監督の指導がよかったんだと思うけど、みんなが「自分のこと」よりも「チームのこと」を優先していましたから。