2018.10.08

橋上秀樹のコーチングの原点は、
野村の教えと「4年間の接客業経験」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

【連載】チームを変えるコーチの言葉~埼玉西武ライオンズ 作戦コーチ・橋上秀樹(4)

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 西武の作戦コーチを務める橋上秀樹は、現役時代から数えて12年間、野村克也の薫陶を受けている。

 初めての出会いはヤクルトでプレーしていた1990年。東京・安田学園高からドラフト3位で入団して7年目、アメリカはアリゾナ州ユマで行なわれた春季キャンプの時だった。

10年ぶりリーグ優勝を果たした西武の作戦コーチとしてチームを支えた橋上秀樹 同年に野村が監督に就任したのだが、ほかの監督と違ってミーティングではまったく野球の話が出ない。代わりに人生観や仕事観を説いていくなか、選手たちに一番求めたのが「変化すること」だった。実際、野村のひと言によって変化した橋上が当時を振り返る。

「私は17年間、現役を続けられたんですけど、なにがそこまで続いた原因か。それはもう、いろんなコーチの方に指導を受けたこともありますが、もっとも残っているのが、野村さんに言われた『己を知れ』という言葉なんです。『自分がどういう駒だったら、野球選手として生き残っていけるかをしっかり考えなさい』と。言われなかったら、たぶん、みんなと同じような練習しかしてなかったでしょうね。それでは自分の存在価値は見い出せなかったと思うんです」

 プロ入り後に捕手から外野手に転向した橋上は、5年目の88年に一軍初出場。翌89年には42試合に出て打率.346、1本塁打、4盗塁と結果を出した。

 直後に野村の監督就任が決まり、「監督が替わって使われなくなったらどうしよう」と心配していたなか、案の定、90年は出番が半減。ただ、変化のきっかけは監督から直に授かることになる。ある日の試合前、バッティング練習中に野村に呼び止められ、こう言われた。

「王はバットを一握り余らせて868本打った。オレは二握り余らせて657本打った。お前さんはバットを目一杯に持っているけど、これまで何本ホームラン打って、これから何本打つんだ?」

 目の前にいる監督はもとより、王貞治を引き合いに出されて橋上はハッとした。それまで、バッティング練習ではただ気持ちよくスタンドに放り込むだけだったのが、すぐさまグリップを二握り上げ、ミート中心に打ち返すことにした。