【イップスの深層】「高卒→プロ」のはずが...大人の事情で狂い始めた森大輔の野球人生 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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 高校3年になると、もはや無双状態だった。春の大会では強豪・金沢高に4対2で勝利。七尾市内の高校が金沢高に勝つのは初めてのことだった。

 練習試合では敦賀気比の内海哲也(現巨人)と投げ合った。強豪校のドラフト1位候補を前にしても、森は「絶対に自分のほうが上だ」と確信する。内海のボールが軽く感じられたからだ。

 その練習試合を取材していたスポーツ新聞の記者によって、森は「金の卵」と全国的に報じられた。高校最後の夏の大会、初戦のバックネット裏には、プロ野球のスカウト陣がズラリと群がった。

 突如出現した無名校の金の卵だけに、各球団のスカウトとしてはいつ負けるかわからないから見ておこうと思ったのだろう。そんな注目を一身に浴びた試合で、森は23奪三振というとてつもない記録を打ち立ててしまう。この投球で、森の評価は決まったようなものだった。

 チームは次戦で本来格下のはずの相手に0対1で敗退。森は5回からリリーフし、5回13奪三振無失点とまたも快投を見せたが、打線は落ちるボールを駆使する1年生投手をとらえられなかった。森は防御率0.00のまま、高校最後の夏を終えた。

 いつしか森は、内海や加賀高の田中良平(元ロッテ)とともに「北陸三羽ガラス」と称されるようになっていた。そして森は、授業中に自分のサインの練習を始める。「やれる」ではない「やる」。プロで自分はやるんだ。そう確信していた。

 しかし、ドラフト会議が近づくにつれて、森の周辺では不穏な動きがあった。

 ある日、森は家族とともに横浜中華街に呼び出される。テーブル上を埋め尽くす豪華な料理の数々。それがすべて自分のために用意されたものということはわかったが、手をつける気にはならなかった。

 テーブルを囲む大人たちの話は、まるで理解できなかった。自分についての話し合いのはずなのに、内容にまったくついていけない。本能的に「この場にいたくない」と思った森は、「ここにいるくらいなら、帰って練習したいです」と言い放った。

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