クビ寸前から虎の大エースへ。
メッセンジャーを変えた「ジョーの助言」 (2ページ目)
歴代トップは、ジョー・スタンカ(1960~66年/南海、大洋)とジーン・バッキー(1962~69年/阪神、近鉄)の100勝。ちなみに、外国人投手の通算勝利数1位は台湾出身の郭泰源(1985~97年/西武)が挙げた117勝である。
メッセンジャーは自分が日本球界で成功した理由として、城島健司の存在を挙げた。メッセンジャーと城島は、MLBのシアトル・マリナーズで2年間一緒にプレーしており、2010年にともに阪神と契約を結んだ。
「日本に来たときは、ただ体の大きさに任せて強いボールを投げることに一生懸命になっていました。そんなときジョー(城島)が『ただ投げるのではなく、投球をすることが大事だよ』と。それもただ言うのではなく、身をもって教えてくれました」
その方法は、たとえばストライクがほしいとき、メッセンジャーが投げたがっている球を投げさせるといったものだった。
アドレナリン全開のメッセンジャーは、当然のようにストレートを選択する。メッセンジャーのなかには、97マイル(約156キロ)のストレートで空振りを奪うイメージがしっかりとできあがっていた。ところが、打者は「ストレートを投げてくる」とかなりの確率で読んで待っている。それだけメッセンジャーの投球はわかりやすかったのだ。
来日当初、メッセンジャーは中継ぎとして起用されていた。しかし、ストレートへのこだわりを捨てきれず、痛打を浴びる失敗を繰り返したメッセンジャーは二軍降格となった。そのとき、城島の教えを理解し始めた。
重要な場面で効果的に打者を打ち取るには、ストレート以外の球種を混ぜ、打者に何を投げてくるのかを考えさせる必要があった。そこでメッセンジャーはもともと持っていた武器を引き出しから取り出した。
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