WBCの悲劇。そのとき、豪腕サウスポー石井弘寿に何が起きたのか (7ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──プロ野球選手になるような人は、もともと強さが備わっていることが多いですよね。

「もちろん、体の強い選手がプロの世界に入ってきます。地肩も強かったし、馬力もありましたから、僕もそのタイプだったかもしれません。でも、プロ野球で毎日毎日試合をするというのは大変なことで、いつの間にかどこかが弱くなっていたり、傷めたりします。だから、体の仕組みを知ること、自分の強いところと弱いところを知ることが大事になります。

 なかにはどうしても避けられないケガもありますが、普段の節制やトレーニングの積み重ねによって、防げるものもあります。アテネ五輪の日本代表として一緒にプレーした黒田博樹さん、三浦大輔さんなどはその部分が違いましたね」

(後編につづく)>>

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石井弘寿(いしい ひろとし)

1977年、千葉県生まれ。1995年ドラフト4位で東京学館高からヤクルトスワローズに入団。先発、リリーフとして活躍し、日本一にも貢献した。2002年、リーグ最多登板で最優秀中継ぎ投手に輝く。2004年、アテネ五輪に出場、銅メダルを獲得。2005年には抑えとして自己最多の37セーブを挙げ、球界屈指の左腕に成長した。2006年オフに左肩の手術をした後は、リハビリの日々を送る。2011年9月、引退表明。2012年にスワローズの二軍育成コーチに就任。2017年から一軍投手コーチを務めている。

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