「期待はずれのドラフト1位」は、
なぜイタリア料理のシェフになったか
<1990年ドラフト 横浜大洋1位 水尾嘉孝>
1990年、前年の野茂英雄に続いて史上最高(当時)の契約金1億円で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団したサウスポーを憶えているだろうか? 150キロ近いストレートと多彩な変化球で、入団時は"ハマの大魔神"佐々木主浩以上の評価を受けた水尾嘉孝。
ところが、横浜では故障のため本来の投球ができず、監督の指令を拒否したことで働き場所も奪われ、飼い殺し。ファンの期待を大きく裏切ったドラフト1位のその後は......。
ドラフト1位の才能は遅咲きだった
■史上最高の契約金1億円で1位指名を受けたが......■
──水尾さんは90年、福井工大4年生の秋に、横浜大洋ホエールズからドラフト1位指名されます。契約金は史上最高額(当時)の1億円でした。
「後にハマの大魔神と呼ばれる佐々木さん以上の評価だったので、重たいなと感じました。そのころは1位の選手で6000万円、佐々木さんでさえ8000万円と言われていましたから」
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