2016.09.26

ホークスを最強軍団に変える。
根本陸夫が果たした最後の仕事

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 巨人のスーパースターだった王を、パ・リーグの球団に連れてくる── 。西武で招聘した広岡、森も巨人出身ではあったが、知名度も存在感も桁違いだけに、実現は不可能と思われた。それでも根本は、球界の行事などで会うたびに王に誘いをかけ、94年の1月には、瀬戸山を伴った3人での会食の席で正式に要請。

 その後は瀬戸山が月に一度、王と会食しながらの交渉を続けていくと、ついに6月には受諾し、7月に次期監督内定となった。巨人退団後、日本ハム、横浜(現・DeNA)から監督就任を要請されても断っていた王が、当時の心境を語る。

「最初は冗談だと思ってたのが、本気で声をかけてくれているとわかって、根本さんがあきらめずに声をかけてくれたとき、僕はこう考えた。”生涯巨人”の思いを断ち切って心機一転を図るなら、当時、東京ドームが本拠地だった日本ハムや在京球団ではやりづらいだろうなって。だったら逆に、東京から遠く離れたパ・リーグの球団ならいいんじゃないか。そうして、ここでユニフォーム着るのもいいんじゃないかと思い始めた。機が熟すというか、タイミング的なものもよかったんじゃないかな」

 94年10月、根本の監督辞任と王の次期監督就任が発表され、契約期間は5年と明かされた。根本は「どんなことがあっても5年は任せる」と腹をくくり、実質GMとしての仕事に専念。そのオフには西武からFAの工藤公康、石毛宏典を獲り、ドラフトでは駒澤大進学が内定していた強肩強打の大型捕手、城島健司を1位で強行指名して獲得。進学志望の選手をプロが”横取り”したと問題になったが、根本は城島が100%進学希望ではない、という情報をつかんだ上で指名したのだった。