オランダ人のバンデンハークはなぜ「無双の先発投手」になれたのか? (2ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 ひとりは、ロバート・エーンホーン。彼はメジャー4年間(94~97年)でわずか37試合に出場しただけで、目立った功績といえば、ヤンキース時代にデレク・ジーターがレギュラーを獲る前にショートを守っていたのが彼だったということと、97年にオランダ本土出身選手として初の本塁打を放ったことぐらい。

 もうひとりが、リッカート・ファニート。彼は90年代中盤に、サンフランシスコ・ジャイアンツとテキサス・レンジャーズでプレーした外野手で、80試合に出場したものの、こちらもこれといった記録を残していない。

 つまり、オランダ本土出身のバンデンハークにとって、メジャーの選手になるということは、あまり現実味を帯びていなかった。それでもバンデンハークは夢をあきらめていなかった。バンデンハークは言う。

「僕にとってプロ野球選手になることは、現実的な夢でした。やっぱり、野球場でプレーしていると、それだけでやれそうな気になります。子どもの頃、野球をするときはいつもメジャーでプレーしている気持ちでやっていました。よくメジャーの選手のものまねをしていましたよ。大きい当たりを打ったあとには、必ず両手を上げたりね(笑)。メジャーは常に頭のなかにあったし、最高のスタジアム、最高のファンのもとでプレーすることばかり考えていました。ずっと頭から離れないというか、そればかり考えていました」

 だが、当時、バンデンハークのポジションはキャッチャーで、長身だったが体は細く、決していい打者とは言えなかった。それでもマーリンズのヨーロッパ担当のスカウトは、彼に目をつけた。それもキャッチャーではなく、ピッチャーとして......。

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