気迫が違う。ベイスターズ投手陣を改革する熱血漢・木塚コーチの魂 (3ページ目)
現役時代は、気迫あふれる攻めのピッチングで魅了した木塚。球団初の新人2ケタセーブを挙げ、07年にはチーム史上最多となる76試合に登板、最優秀中継ぎ賞を受賞したことのある木塚に白羽の矢が立ったことはうなずける。
投手陣の再建を託された木塚は、「準備であったり、身体のケアや、情報収集の仕方、最後の1球など、こだわりを持たせて、『今日はよかったね』ではなく、もう1回見直してみようと問題提起するのが役目」とコーチのあり方を話す。
「力のある子たちがいっぱいいるから、細かなところまで気を配り、何でも気付いてあげたいんです」とブルペンでの厳しい表情をほどき、目を細めた。これは現役時代から、後輩思いで心配りができる木塚ならではの役目だろう。木塚の人柄を表すエピソードには事欠かない。
晩年は満身創痍で、35歳の2010年シーズン終盤に戦力外通告を受け引退を決意。しかし、その後も二軍ビジター試合のジャイアンツ球場に木塚が現れた。登板の機会はないのに、率先して球拾いをし、後輩たちに明るく声をかけていたのだった。戦力外通告を受けたベテラン投手が二軍ビジター試合に帯同するのは異例のことである。木塚は最後までチームのためにできることを探していた。
引退試合では、相手チームの阪神が2位争いをしていたこともあり、真剣勝負を切望。最終登板に花を持たされることなく、新井貴浩にタイムリーを浴びたが、ハマスタは木塚コールと大きな拍手に包まれた。スタンドでは同年に戦力外となった佐伯貴弘や、他球団に移籍していたかつての盟友、加藤武治、吉見祐治ら多くの選手が見守っていた。これもまた異例のことで、木塚の人望と選手生活が凝縮された引退試合となった。
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