9年間も力を証明し続けた前田健太が「世界のマエケン」になる日 (2ページ目)
これまでずっと、前田は自らの力で存在を示してきた。
PL学園から入団した1年目は球団の方針もあり、シーズンを通して二軍で投げ続けた。20試合に登板し、103回2/3を投げ、5勝8敗、防御率3.99だった。オフには異例の背番号変更。一軍未経験の右腕にエースナンバーの「18」が継承された。重圧になっても不思議ではないが、前田は「来年は"マエケン"ブームを起こしたいですね」と無邪気に笑ってみせた。
その言葉通り、チーム内でしか浸透していなかった「マエケン」の愛称は、翌年、全国の野球ファンが知ることになる。
08年4月5日の横浜(現・横浜DeNA)戦で一軍デビューを果たすと、6月18日の日本ハム戦でプロ初勝利。その後も順調に白星を重ね9勝をマークし、一軍での地位を確立した。翌09年は勝ち星こそ前年を下回ったが、開幕からローテーション投手として1年間投げ続けた。
そして10年は飛躍のシーズンとなった。大黒柱だった大竹寛(現・巨人)が春季キャンプ中に右肩を痛め、前田は初めて開幕投手を任されることになった。その開幕戦で中日相手に8回4安打1失点の好投を見せ、チームに勝利をもたらすとともに、新任の野村謙二郎監督にウイニングボールをプレゼントした。
その後も好調は続き、5月までに8勝を挙げる活躍でオールスターに初選出。結局、15勝8敗、防御率2.21、奪三振174の成績を収め、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振など、投手部門のタイトルを総なめにし、沢村賞にも輝いた。
2 / 4