槇原寛己が語る、悪夢の3連発。「1985年の阪神は最強だった」
9月特集 優勝か? 失速か? 阪神タイガースの秋(1)
今からちょうど30年前、初めて日本シリーズを制覇した阪神タイガース。チームの象徴であり、多くのファンを熱狂させたのは、「史上最強」と称される"猛虎打線"だ。当時、その打線と対峙してきた元巨人投手の槇原寛己氏に、そのすごさについて聞いた――。
1985年、阪神不動の4番だった掛布雅之(中央)。写真は、巨人の槇原(左)から伝説の「3連発」を放ったシーン。 1985年に日本一となった阪神タイガース。その原動力となった"強力打線"に火をつけてしまったのは、間違いなく、僕ですね。あの、バックスクリーン3連発で......(※)。
※1985年4月17日(甲子園)、阪神vs巨人。7回裏、2点を追う阪神が猛反撃。3番バース、4番掛布、5番岡田と、3人連続でバックスクリーンへの本塁打を放って逆転勝ちを収めた。
実は、あの年の阪神は、開幕から決して調子が良かったわけではないんです。最終的に三冠王となったR・バースにしても、むしろ不調でした。僕が対戦した時点(4月17日の甲子園)では、打率も1割台だったし、ホームランは1本も打ってなかった。
だから、ミーティングでも「バースをこのまま打たせないようにしよう」という話が出ていました。甘いところに投げなければ大丈夫。実際、そんな感じもあったんです。そういう意味ではあの日、僕が打たれていなければ、バースの不調は続いていたかもしれないし、阪神打線、そしてチームの勢いも、あそこまで強力になることはなかったかもしれません。
そう考えると、あの3連発は大きかった。結局、阪神打線を調子づかせることになってしまいましたから。やっぱり「僕が(阪神打線に)火をつけてしまった」ということになると思います。
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