2014.10.07

日本ハム若手が語る「稲葉さんが残してくれたもの」

  • 佐々木亨●文 text by Sasaki Toru
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 10月5日、日本ハムの稲葉篤紀の引退試合が行なわれ、20年間のプロ野球生活に別れを告げた。

 1995年にドラフト3位でヤクルトに入団した稲葉は、持ち前のシュアなバッティングを武器に3度の日本一に貢献。そして2004年オフ、FA宣言をしてかねてからの夢であったメジャーに挑戦するも獲得する球団はなく断念。そんな失意の稲葉に手を差し伸べたのが日本ハムだった。

昨年は打撃コーチ兼任として後輩の指導にあたっていた稲葉篤紀。将来的に指導者としての期待もかかる

 日本ハムというチームはFAの選手を獲ることに消極的で、実際、稲葉以外にFAで入団した選手はいない。ただ、当時日本ハムのGMだった高田繁氏が「チームを強くするために絶対に必要な選手だった」と語ったように、稲葉だけは例外だった。

 稲葉も「日本ハムが僕を救ってくれた。この恩はプレイで返したい」という言葉通りの活躍でチームを牽引。2007年に首位打者を獲得すると、2008年に北京五輪の日本代表に選出。そして2009年にはWBCの日本代表として世界一に輝いた。また、プロ18年目の2012年には通算2000本安打を記録。名実ともに日本を代表するプレイヤーとして活躍し、2004年から本拠地を札幌に移したチームの顔となった。

 そして、残した実績と同じぐらいに稲葉の存在価値を高めたのは、その人柄であり、人間力だった。たとえば、グラウンドで見せる全力疾走やヒーローインタビューでの真摯な姿。稲葉のひとつひとつの言動に、人としての器の大きさを感じた。その稲葉の野球人としての姿勢はチームにも大きな影響を与えた。

「そりゃあ、寂しいですよ……」

 稲葉の今季限りでの引退を惜しむのは、プロ6年目の杉谷拳士(23歳)だ。3年目に一軍初出場を果たし、今やユーティリティプレイヤーとしてチームに欠かすことができない存在となった杉谷はこう語る。

「稲葉さんは、僕がプロに入った時からずっと声をかけてくださって、一軍に上がった3年目からもいろいろとアドバイスをしてくれました。野球人としても、人としても、まさに見本になるような人でした」