2014.10.08

あれから20年。当事者たちが語る「10・8」の真実

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Nikkan sports

 日本にプロ野球が誕生して80年。その歳月の中で、数々の名勝負や名場面が生まれ、今日に語り継がれてきた。長嶋茂雄の展覧試合でのホームラン(1959年)、王貞治の世界記録となる756号本塁打(1977年)、江夏の21球(1979年)、近鉄×ロッテの「10・19」川崎球場でのダブルヘッダー(1988年)……。

 今から4年前に日本野球機構(NPB)は、現役プロ野球選手、監督、コーチの858人に「最高の試合」「名勝負・名場面」というアンケートを行なった。そこで「最高の試合」部門で99票を集め1位に選ばれたのが”10・8”決戦だった。

最終戦で優勝を決め、ファンの声援に応える巨人・長嶋茂雄監督

「国民的行事」――当時、巨人を指揮していた長嶋茂雄監督はこの試合をそう位置づけ、テレビ視聴率(フジテレビ系)は48.8%を記録。プロ野球中継における最高視聴率として今も破られていない。はたして、20年前に行なわれた伝説の一戦とは何だったのか。そしてその時、何が起きていたのか。巨人からは先発投手の大役を任された槙原寛己氏(51歳)、中日からは6番・サードで先発出場した仁村徹氏(53歳)と、先発マスクをかぶっていた中村武志氏(47歳)に、当時を振り返ってもらった。

「そうですか。あれからもう20年ですか……。本当に昔のことだなぁという気がしますが、もうそんなに経ったのかという感じもしますね」(仁村氏)

「”10・8”という数字を見れば、やはりあの試合のことを思い出しますよね。あの日、先発のマウンドに立ったということは、僕にとって財産です」(槙原氏)

「”10・8”が終わって、5~6年はテレビや雑誌の特集などいろいろありましたが、そろそろ忘れるだろうと思うんですけどね(笑)。でも、今年もこうやって取材に来ていただき、あの試合のことを思い出させてくれる。誕生日みたいなものですかね。少なくとも1年に一度は思い出す。”10・8”とは、僕が死ぬまで付き合っていくのかなという気がします。あれから20年ですか……試合には負けたけど、僕にとってはいい思い出ですね」(中村氏)

 ここで”10・8”に至る過程を簡単におさらいしておきたい。1994年のセ・リーグは開幕から巨人が順調に白星を重ね、独走していた。しかし、8月後半に8連敗と失速。逆に中日は9月に9連勝するなど巨人を猛追。そして10月6日、巨人がヤクルト相手に星を落とし、中日は阪神に快勝したことで、両チームが同率で首位に並び、最終決戦である”10・8”を迎えることになった。