戦力外から球宴へ。
楽天・福山博之の奇想天外すぎる野球人生 (3ページ目)
突然の宣告に、雷に打たれた気分だった。
「『えぇっ、マジで!?』っていう気持ちやった。いや、確かに結果は出てないけど、『それにしても早いやろう』って。『まだできるぞ』っていう気持ちもあったから、野手に転向するって考えはなかったね」
わずか2年。サブが言うように少し早い気もするが、高田氏自身、現役時代にレフトからサードへコンバートされ、ゴールデングラブ賞を獲得している。また、日本ハムでは糸井(嘉男)を投手から外野手へコンバートし成功している。「転向するなら退路を断つ」という高田氏の考えもあっただろう。
もともと、サブのコンバートはチーム内でも声が上がっていた。というのも、サブの脚力はおそらく球界でもトップクラスで、50mを走らせれば確実に6秒を切る。事実、昨年は代走での出場も果たしているほどだ。そのずば抜けた脚力と身体能力は、野手でこそ発揮されると見る球団関係者は多かった。選択を迫られたサブであったが、答えは決まっていた。
「野手転向の話を断れば事実上戦力外通告。それでも、オレは投手にこだわった。なぜかって? 『まだ投手としてやれる』という自信があったから」
2012年10月、サブは戦力外通告を受けた。
早すぎる「クビ」。ここからトライアウトに向けた練習が始まった。じつはこの時、私も同時に戦力外通告を受けている。ここから約1カ月半の間、サブと私は毎日のように一緒に練習をした。サブの全力投球を私が受けたり、時には投手と打者として真剣勝負をしたり、実戦感覚を磨いた。この期間、なぜかお互いに悲壮感めいたものはなく、むしろ、来シーズンに備えた練習と言った方が正しいくらい希望に満ちあふれていた。
サブとの練習の成果もあってか、私はトライアウトで楽天の本拠地であるKスタ宮城(現・コボスタ宮城)でホームランを打つことができた。誰よりもサブが一番喜んでくれたことは言うまでもない。そしてサブは楽天から声がかかり入団した。私はというと、声がかかることはなかったが、そのお陰でこうしてサブの記事を書かせてもらうことができている。話が逸れてしまった、本題に戻ろう。
楽天へと移籍したサブは1年目から活躍する。22試合に登板し、防御率こそ4.41と奮わなかったものの、シーズン終盤で見せたロングリリーフなどで幾度となくチームの危機を救った。高田氏から野手転向の打診を受けたちょうど1年後の9月25日、優勝マジック3で迎えた西武戦で、先発したハウザーが栗山(巧)に危険球を投じ退場となると、緊急登板でマウンドに上がり、4回1/3を無失点に抑える投球を見せた。野手転向かクビかを迫られていた男が、そのちょうど1年後には優勝戦線のど真ん中で投げていた。その後チームはリーグ初優勝、CS突破、日本シリーズ制覇と、まさに楽天のためにあったようなシーズンを送った。
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