2013.12.23

取得まで最短7年。メジャーに近づいてきた日本のFA20年史

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro photo by Nikkan sports

フリーエージェント20年史(4) 2008年~2013年

 FA移籍の活性化を狙って、2008年オフからFA制度が大きく変更された。新ルールでは、FA権の種別を国内と海外にし、それぞれ取得までの年数で差別化がはかられた。海外FA権は、全選手が従来どおり9年を要するものの、国内FA権は、2007年ドラフト以前にプロ入りしていた選手が8年、それ以降に入団した選手は、高校生が8年、大学・社会人が7年と、それまでよりも短縮された。そして、FA宣言後の国内移籍に際して、足かせとなっていた前所属球団への補償も大幅に見直された。各球団の日本人選手の年俸を上位1位~3位をAランク、4位~10位をBランク、それ以下をCランクに区分し、FA宣言した選手のランクに応じて補償内容が変わる。AランクとBランクは、人的補償の有無によって金銭補償額が変動。Cランクは人的補償、金銭補償ともに不要になった。

「優勝したい」と語ってソフトバンクに入団した内川聖一は、移籍1年目で日本一を経験 新FA制度下での移籍第1号は、中村紀洋(中日)だった。メジャー挑戦を経て、2006年にオリックスに移籍していた中村は、2007年オフに契約交渉のもつれから自由契約となり、中日で育成選手として年俸600万円から再出発。同年の日本シリーズMVPに輝き、大幅アップの年俸5000万円を勝ち取った。そして2008年オフ、再取得したFA権を行使し、中日からは1年7000万円で残留を求められたが、「残り少ない野球人生、もう一度チャレンジしてみたかった」と、2年2億円を提示した楽天に移籍した。この時の中村紀の年俸は5000万円で、中日の日本人選手では14番目のCクラスだったため、補償が生じない初のFA移籍となった。

 海外FA権を持たず国内FA権で初めて移籍したのは、2009年の藤本敦士だ(※)。2001年にドラフト7位で阪神に入団し、2003年、2005年のリーグ優勝に貢献したが、2009年の出場は47試合。「自分を必要としてくれることが一番」と、出場機会を求めてFA宣言した藤本を、アテネ五輪で日本代表の二遊間を組んだヤクルトの宮本慎也からの誘いもあり、2年1億円で移籍した。

(※)前年の2008年に国内移籍した中村紀洋、野口寿浩、相川亮二は海外FA権も含めたFA宣言だった。