山﨑武司、引退。「人情派語録」で振り返る、激動の27年

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva

 中日の山﨑武司が7月29日に会見を開き、今シーズン限りでの引退を表明した。会見の席で「やんちゃ飛ばして、27年も好き勝手やらせてもらえたのはオレだけ」と語った山﨑。史上3人目となるセ・パ両リーグでの本塁打王を獲得するなど、天性の長距離砲として活躍する一方で、思ったことを口にする性格で起用法をめぐって監督と衝突することもあった。そんな山﨑の紆余曲折のプロ野球人生をあらためて振り返ってみたい。

今シーズン限りでの引退を表明した山﨑武司今シーズン限りでの引退を表明した山﨑武司 

 高校通算56本塁打の実績を引っ提げ、1986年に愛工大名電高からドラフト2位で中日に入団した山﨑だったが、長く二軍生活が続いた。89年からは一軍での出場機会をふやしたが、レギュラー獲得には至らなかった。素質が大きく開花したのが入団10年目の96年、39本塁打を放ちチームメイトの大豊泰昭、巨人・松井秀喜とのタイトル争いを制し、本塁打王を獲得した。

「ホームランにこだわってやってきたので、このタイトルは特別」

 そして山﨑自身、忘れられないシーンのひとつとして語ったのが、99年9月26日にナゴヤドームで行なわれた阪神戦。「決めてやろうと思っていた。プロ野球生活の中でも、1、2番の当たり」という逆転サヨナラ3ランは、優勝を決定付ける劇的な一発となった。

 その後もドラゴンズの中軸として活躍するが、02年は不調により二軍生活が続いた。さらに監督との確執が表面化し、わずか26試合の出場に終わる。そしてオフに平井正史とのトレードでオリックスへ移籍することが決まった。この時の心境を、のちに山﨑はこう語っている。

「ドラゴンズでプレイすることが誇りだったし、名古屋を離れることは考えたこともなかった。まだ野球選手として終わったわけじゃないのに、ロッカーの荷物を整理している時、涙が止まらなかった。悔しいというより、寂しかった」

 そして新天地・オリックスでも満足な結果を残せず、再び監督と衝突。わずか2年で戦力外を言い渡された。

「悔しい気持ちしかない。人間関係が崩れてはいい仕事ができない」

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