【MLB日本人選手列伝】川﨑宗則 「永遠の野球小僧」がアメリカで楽しみ倒した「メジャー・マイナー」生活
攻守ともにメジャーへの適応に前向きに取り組んだ川﨑宗則 photo by Getty Images
MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載28:川﨑宗則
届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第28回は、川﨑宗則を紹介する。
【イチローのチームメートになりたくて】
ヒーローインタビューでの強烈なひと言を記憶している人もいるだろう。
"I'm Japanese!"
川﨑宗則。
私が取材したメジャーリーガーのなかで、アメリカでいちばん楽しい時間を過ごした選手であり、いちばん苦労した選手ではないかと思う。
まず、移籍のきっかけが「イチローLOVE」だったことが面白い。
「僕はメジャーリーグに行きたかったわけじゃないんです。イチローさんと一緒にプレーしたかっただけなんです。だから、移籍先はシアトル・マリナーズ一本、ほかに選択肢はないですよ。実は、ボビー・バレンタインが監督だったボストン・レッドソックスからメジャー契約のオファーがあったんです。でも、断りました。そうしたらボビーが『メジャー契約を断る選手がこの世に存在するのか?』って目を白黒させていたらしいです。いま、思えば......そっちのほうがよかったのかも(笑)」
そして望みどおりにマリナーズとマイナー契約。冒頭の"I'm Japanese!"に示されるように、川﨑は通訳をつけずに自力で乗りきろうとした。しかし、それには彼なりの考え方があった。
「正直、最初のスプリングトレーニングの時点から、通訳はいたほうがよかったと思うこともありました。どう動いていいかわからない時、ありましたから。僕が通訳は要りませんと言ったのは、球団にとって余分な経費を使わないほうが、僕自身がメジャー契約を勝ち取れる可能性が高まると思ったからです」
とにかく生き残ることに必死だったのだ。
マリナーズは2012年のシーズン開幕を東京で迎えることになっていたが、日本に戻ってきた時点でもメジャーか、マイナーかはまだ決まっていなかった。
「東京でなんとか結果を出せて、メジャー契約に切り替わったんです。うれしかったなあ。イチローさんは夏場にヤンキースに移籍してしまいましたけど、それでも一緒にプレーできたことは僕の誇りです」
5年間でプレーした球団は、マリナーズ、トロント・ブルージェイズ、そしてシカゴ・カブス。ブルージェイズでは愛されるキャラクターとして定着し、カブスではワールドシリーズ優勝も経験した。ただし、メジャーとマイナーを何度も行き来することになった。
「アップダウン人生でした(笑)。2010年代はデータ野球が浸透していて、数字が非常に重視される時代になりました。打撃では出塁率だけじゃなく、長打率も求められるようになってきて、僕はなかなかスタンドまでボールを運ぶことはできない。じゃあ、どうしたらいいかというと、右中間、左中間を抜いて二塁打、可能であれば三塁打を狙っていくバッティングを心掛けていました」
著者プロフィール
生島 淳 (いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo

