【MLB日本人選手列伝】齋藤隆:36歳のオールドルーキーが7年のメジャー生活につながった新たな発見 (2ページ目)
【メジャーで成功した大きなカギ】
2007年もクローザーとして活躍し、オールスターに選出され、シーズントータルで39セーブを挙げたが、驚くべきはWHIP(1イニングあたりの被安打と与四死球の数)が0.715であること。この数字は滅多にお目にかかれない。ほとんど走者を許すことなく、「ワン・ツー・スリー」、三者凡退で試合を締めくくっていたことになる。
2009年は契約延長を勝ち取るも、右肘の故障があり、戦線離脱をする期間ができてしまった。しかし、ドジャースでの齋藤の落ち着き、活躍を他の球団は見逃さなかった。
その後、ボストン・レッドソックス、アトランタ・ブレーブス、ミルウォーキー・ブリュワーズ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのユニフォームを着た。36歳のオールドルーキーは、42歳までアメリカでプレーした。そして2013年からは日本に戻り、生まれ故郷の仙台に本拠地を構える楽天で45歳までプレーしたのである。
それが可能になったのは、齋藤のスライダーは、今でいう「スイーバー」に該当するほど、大きな変化を見せていたからだと思う。
「ベイスターズの時は、スライダーにそれほど自信を持っていたわけではなかった。日本のプロ野球では、変化が大きすぎて打者のバットが止まっていたので、ボールになる確率が高かったんです」
ところが、メジャーの打者は齋藤のスライダーをとにかく追いかけてきた。
「振ってくるので、空振りが取れた。シーズンが進むにつれて『これは使える。これで生き残れる』と思いました」
日本でプレーしている時よりも、曲がり幅が大きくなっていたのだ。その一因として、「個人的な見解ですが」として、齋藤はボールの質の違いを挙げた。
「メジャーのボールはひと回りとまでは言いませんが、大きめだなとは感じていました。縫い目も粗く、糸も太く、糸穴も大きかった気がします。いろいろな要素が重なって空気抵抗が大きくなり、曲がり幅が大きくなったのかもしれませんね」
アメリカはオールドルーキーにとって、まさに新天地だったのだ。
【Profile】さいとう・たかし/1970年2月14日生まれ、宮城県出身。東北高(宮城)―東北福祉大。1991年NPBドラフト1位(横浜大洋)。2006年2月にロサンゼルス・ドジャースと契約。
●NPB所属歴(16年):横浜大洋(1992〜2005/93〜横浜)―東北楽天(2013〜15)
●NPB通算成績:91勝81敗14ホールド55セーブ(403試合)/防御率3.75/投球回1575.0/奪三振1331
●MLB所属歴(7年):ロサンゼルス・ドジャース(2006〜08/ナ)―ボストン・レッドソックス(2009/ア)―アトランタ・ブレーブス(2010/ナ)―ミルウォーキー・ブリュワーズ(2011/ナ)―アリゾナ・ダイヤモンドバックス(2012/ナ) *ナ=ナショナル・リーグ、ア=アメリカン・リーグ
●MLB通算成績:21勝15敗84セーブ39ホールド(338試合)/防御率2.34/投球回338.0/奪三振400 プレーオフ(4年/2006、08、09、11)=1勝0敗2ホールド(10試合)/防御率1.69/投球回10.2/奪三振9
著者プロフィール
生島 淳 (いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo
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