【MLB日本人選手列伝】髙津臣吾: "超遅"シンカーを武器にクローザーの地位を確立 ホワイトソックス時代の経験は指導者としての糧に (2ページ目)
【ホワイトソックスGM&監督から得た学び】
アメリカ時代の髙津とは、いろいろな思い出がある。当時、ホワイトソックスはアリゾナ州の南に位置するツーソンでスプリングトレーニングを行なっていたが、そこまで取材に出かけたこともある。キャッチボールしたのも懐かしい。隣家の親子が、髙津の球を見て「ワオ」と驚いていたのも懐かしい(その家のお父さんは、「いいものを見せてもらった」と言って、お礼にチキンスープを差し入れしてくれた)。
髙津にとっては、ホワイトソックスで過ごした日々が、その後の指導者人生にも生かされている。
「GMだったケニー・ウィリアムズのスプリングトレーニングでのスピーチも忘れられないです。みんなで勝ちにいくんだ。そのためにはクラブハウスにいる仲間を大切にしてほしい、と。『なにかあったら、いつでも俺の携帯に電話をくれ』と言って、本当に番号を伝えてたくれたんですよ」
監督のオジー・ギーエンは、いつでも前向きだった。
「遠征最後の試合で、ちょっと後味の悪い負けをしたのかな。シカゴの空港に着いて、フリーウェイを走っていたら、やたらとデカい音楽をかけて、陽気な人が運転してた。うるさいなあ......と思ってみたら、それがオジー(笑)。いい意味で、終わったことは悔やまない。次の試合に前向き。ホワイトソックスのユニフォームを着られたことは、人生の宝物です」
髙津は最後までユニフォームにこだわり、2012年にはBCリーグの新潟で監督兼選手を務めた。2014年からはヤクルトのコーチ、そして2020年からはヤクルトの監督に就任し、2021年には日本一になった。
日本一になった年の9月、ペナントレースが佳境を迎えた時に、「絶対大丈夫だから。絶対」と選手たちに向けて話したのは、ファンの間でも流行語になった。
「絶対大丈夫」には、オジー・ギーエンの遺伝子が含まれていたと思う。
【Profile】たかつ・しんご/1968年11月25日生まれ、広島県出身。広島工高(広島)―亜細亜大。1990年NPBドラフト3位(ヤクルト)。2004年1月にシカゴ・ホワイトソックスとFA契約。2006年に日本球界に復帰するも、メジャー挑戦を続けた。2012年からは指導者としても活動し、2020年から2025年まで東京ヤクルトの監督を務めた。
●NPB所属歴(15年):ヤクルト(1991〜2003)―東京ヤクルト(2006〜07)
●NPB通算成績:36勝46敗286セーブ8ホールド9ホールドポイント(598試合)/防御率3.20/投球回761.1/奪三振591
●MLB所属歴(2年):シカゴ・ホワイトソックス(2004〜05途/アメリカン・リーグ)−ニューヨーク・メッツ(05/ナショナル・リーグ)
●MLB通算成績:8勝6敗(99試合)/防御率3.38/投球回98.2/奪三振88
著者プロフィール
生島 淳 (いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo
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