大谷翔平が「ウィリー・メイズの後継者」たる理由 メジャー史に残る偉人との共通点 (2ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki
  • ZUMA PRESS,AP/AFLO●写真

【メイズと大谷の共通点】

 21世紀の大谷翔平は、メジャー史においてそのメイズに続く存在である、と筆者は思う。

 ほかのトップ選手も及ばない異次元の打球音でとてつもなく大きなホームランをかっ飛ばし、100マイル(160キロ)の剛速球を投げ、走塁でも魅せる。打席で、塁間で、ヘルメットを飛ばす。昨年7月27日のデトロイト・タイガース戦のダブルヘッダーのように、完封勝利の数時間後の試合で2本塁打を放ち、「すごい!」と言わせる。

 野球の申し子である点でも、メイズと共通している。メイズは、こんな思い出話をしている。

「6歳の頃からずっと野球をしてきて、野球が大変だと話す選手のことが理解できませんでした。私にとっては喜びでしかなかった。子供の頃、父がセミプロでプレーしていて、彼がそのことでお金をもらっていると知ったのは、人生で最大の驚きでした。まるでアイスクリームを食べてお金をもらうような、すばらしいアイデアだと思いました」

 誰からも好かれるキャラクターも共通している。メイズのニックネームは「Say Hey Kid」。彼が人々に対してよく「Say Hey!(ヘイ、やあ!)」と親しげに挨拶していたことが由来で、明るくフレンドリーな人柄が表われている。メイズは、かん高い声で陽気に笑った。大谷も言葉の壁があっても、クラブハウスやダグアウトでチームメートと陽気に接し笑っている。

 今、その大谷に必要なのは、多くの人々が期待するように、ワールドシリーズという最大の舞台に立ち、活躍することだ。

 1954年、当時23歳のメイズを一躍有名にしたのは、通称「ザ・キャッチ」だった。ニューヨークのポログラウンズで行なわれたワールドシリーズ。ジャイアンツがクリーブランド・インディアンスを迎えての第1戦、8回表2対2の同点のことだった。無死一、二塁と走者を2人おいた状況で、インディアンスのビック・ワーツが中越えに放ったのは、ほかの球場なら確実に3点本塁打になったであろう大飛球だった。だがポログラウンズはホームプレートからセンターのフェンスまで455フィート(約138.5m)もあった。浅く守っていたメイズは、本塁に背を向けたまま全速力で走り、壁から数歩手前でボールに追いつき、左肩越しにキャッチ。すぐに体を反転させ、内野にボールを投げ返した。

 ジャイアンツはこのイニングを無失点で切り抜け、延長10回にサヨナラ勝ち。勢いに乗り4連勝で世界一に輝いている。

 最高の舞台で人々の記憶に残るプレーを見せることで、真のヒーローとして歴史に名を刻めるのである。

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