大谷翔平のドキュメンタリー映画の監督が感じた、地方から規格外スターが生まれた理由「都心だとスケールダウンにつながるリスクもあった」 (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

――作中で紹介されている、高校1年生の大谷選手が書いた「8球団からドラフト1位指名を受ける」という夢にもスケールの大きさを感じました。

「よくも悪くも、まだ現実を知らなかったからこそ、自由な夢が見られた部分はあるのかなと思いました。先ほどの話につながりますが、プロ野球などの情報も多く入ってくるだろう都心の名門校に通っていたら、周囲に対する遠慮や恐れの気持ちが芽生えて、スケールダウンにつながるリスクもあったと思います。思い描いた夢をそのままの形で実現させていくすごさや、未来の可能性を信じることの大切さは、僕も作品作りを通して感じた部分です」

――大谷選手は大きな夢を描く一方で、幼少期から野球の基本を大切にしてきた印象もあります。

「そうですね。野球を始めた時から、『何事も一生懸命やる』とか『打ったら全力で1塁まで走る』というところを意識していたのがわかりました。そのあたりも、野球に対して真摯に向き合っていることの現れなのかなと思います」

――日本ハム時代に背番号11を譲り受ける形になったダルビッシュ有投手(パドレス)との対談では、国籍などに言及する場面もありましたね。

「ダルビッシュ投手はイランにルーツがあるので、幼い頃からさまざまなことを経験してきたことも大きいでしょうが、踏み込んだ発言を聞いた時に『勇気があるな』と思いました。MLBはさまざまな国籍の選手たちが活躍しているように見えますが、アジア人選手の割合はたった数%にすぎません。

 彼らが直面する可能性があるのは、露骨な人種差別というよりは、日本でも話題になることがある"体育会系の悪ノリ"に近いんじゃないかと。アメリカだけの問題ではなく、日本にも同様に存在しているものだと思います」

――対談の際、会話のトピックはどのように決めていったんですか?

「僕が事前に聞きたいトピックを提示して、その後は流れに任せて進めていきました。前振りはほとんどなく、2人の会話のキャッチボールがそのまま収められています。とにかく、アットホームでリラックスできる環境を整えることに腐心しました」

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