大谷翔平の無垢で自由な「野球ルネサンス」 97%が後払いのスポーツ史上最高契約の中身
大谷翔平がスポーツ史上最大級の大型契約でロサンゼルス・ドジャースと新たな契約を結んだ。総額は天文学的な数字だが、その契約内容は、大谷の勝利に対する姿勢が反映されたものになっている。右肘の手術の影響もあり、来季は打者に専念することになるが、「二刀流」の挑戦は続いていく。奇しくも大谷がこの世に生を受けた頃、米国ではMLBとNFLの二刀流を貫いたスーパースターがケガの影響でそのキャリアに幕を閉じた。それから30年、大谷は「二刀流」で野球界にルネサンスをもたらそうとしている。
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【ケガで二刀流にピリオドが打たれたジャクソン】
1991年1月13日、ロサンゼルス・コロシアム。NFL(アメリカンフットボールのプロリーグ)、ロサンゼルス・レイダーズのRB(ランニングバック)ボー・ジャクソン(当時28歳)が34ヤードのランを決めた時、相手守備にタックルで足をつかまれ、臀部を負傷した。その試合、筆者はサイドラインで写真を撮っていたが、タックルは特に強烈なものではなく、軽症だと思った。だが、それがNFLとMLBで絶大な人気を誇っていたジャクソンの「二刀流」にピリオドが打たれた瞬間だった。
ジャクソンが所属していた当時のMLBカンザスシティ・ロイヤルズの担当記者、ディック・ケーゲル氏に話を聞く機会があった。今から3年前の2020年8月、大谷翔平が思うような結果を残せず、米国のメディアが二刀流を断念すべきという論調になっていた時だ。あのジャクソンと最も親交の深かった野球記者の意見を聞きたかったためだ。
「(ケガの後)春のキャンプは足を引きずり、松葉杖をついての参加だった。プールがあって毎日そこで泳いでいた。だが患部は良くならず、3月18日に解雇された」
ジャクソンは人工関節の手術を受け、1991年にリハビリを経てシカゴ・ホワイトソックスと契約。メジャーリーグでは1994年までプレーしたが、それでおしまいだった。
「彼が二刀流を志したのは、ふたつのスポーツをプレーするのが心から好きだったから。だから早くキャリアが終わっても全く後悔していない。殿堂に入れなかったこともね。引退後、大学で学位を取り、3人の子供を育て上げ、ビジネスでも成功し、豊かな人生を送れているからね。それでもボーは50年の私の取材経験で見た、最高のアスリートだった。
MLBのデビュー戦で145メートルの特大のホームランを打ったり、(シアトル)マリナーズ戦でレフトのウォーニングトラック(外野フェンスに沿って引かれた線と外野のフェンスまでの間のスペース)からホームに遠投して刺したり。大学を出てから野球だけをやっていたら、ウィリー・メイズ(1950〜1973年にMLBでプレー。史上最高の万能型と呼び声高い走攻守揃った選手)のような偉大な野球選手のひとりになれていたと思う。私は医師ではないし確かなことは言えないが、身体にもっと休みが必要だったのかもしれない」
その経験からケーゲル記者は、大谷についてもこう話した。
「世界のトップアスリートが集まるMLBで、二刀流で成功するのは大変なこと。普通、投手は投げた後はリカバリーのために身体を休める。しかし大谷はその間も試合に出る。ボーも野球シーズンが終わったら即、レイダーズに合流。フットボールが終わったら、少し骨休みするだけで野球のキャンプに参加した。
大谷が両方できることはすでに証明されている。だが、二刀流をやるのは身体の限界を超えているのかもしれない。私は大谷がすでに26歳であることを考えると、野球選手にとって一番良い時期にひとつのことに集中して、フィールドに立ち続けられるようにしたほうが良いと思う。あくまで決めるのは彼自身だけどね」
言うまでもなく、大谷は2021年から2023年にかけての大活躍で二刀流が可能であることを証明。そして2023年12月、10年総額7億ドル(約1050億円、1ドル=150円換算)という世界のスポーツ史上最大契約を勝ち取り、サッカーのリオネル・メッシ(アルゼンチン)やキリアン・エムバぺ(フランス)らと肩を並べる、世界のトップアスリートとなった。
今さらながら残念に思うのは、もし91年1月、ジャクソンがケガをしていなければ、NFLとMLBの二刀流でさらに大きな成功を成し遂げ、米国のスポーツ界の流れを変えていたかもしれないということ。当時、米国の高校ではトップアスリートが複数の競技で活躍するのは当たり前で、二刀流の候補生はたくさんいた。だが、近年は違う。親の考えで、プロ選手として成功できるよう、高校に入る前からひとつのスポーツに絞り、専属コーチを雇い、英才教育を受けさせるケースが増えた。だが、プロになりお金を稼ぐ確率は上がるが、アスリートの潜在能力を最大限に引き出しているとは言えない。
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著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。