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【MLB】イチローがシアトルで得たもの、NYで探すもの

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by AP/AFLO

メジャーデビューの2001年から11年半、マリナーズでプレイしたイチローにとってシアトルは特別な街だったメジャーデビューの2001年から11年半、マリナーズでプレイしたイチローにとってシアトルは特別な街だった 11年半、調べてみたらなんと、939試合――。

 イチローはそれだけの日数、愛車を駆ってワシントン湖の水面ギリギリにかかる橋を渡り、自宅からセーフコ・フィールドに通っていた。晴れた日は、空と湖の青が区別できないほど、色濃くて、眩(まばゆ)い。遠くに見える万年雪をかぶったマウント・レーニャは"タコマ富士"と呼ばれ、昔からこのエリアに暮らす日本人を励ましてきた。イチローは、そんな絶景を当たり前のように眺めながら、試合がある日は毎日、球場へと向かった。

 愛着が沸かないはずはない。

 イチローにとって、シアトルの街は特別だ。彼がこんなふうに話していたことがある。

「この街で長い年月をかけて築き上げてきたものは、新しい街では簡単に作れません。僕がシアトルで積み上げたものは、今から他のチームに行って同じ時間を費やしたとしても、たぶん、築けない。だったら僕は、やらせてもらえる限りはずっとシアトルでプレイしたいと思っています」

 ところが、彼はついにこの街を離れる決断を下した。

 2012年7月23日、イチローのヤンキースへの移籍が決まったのだ。

 シアトルのセーフコ・フィールドにあるインタビュールームで緊急の記者会見が始まった。イチローはキッと正面を見据え、よく通るハッキリとした声でこう語り始めた。

「まずはファンのみなさんに感謝の思いを伝えたいと思います。11年半、ありがとうございました。2001年から、チームが勝ったときも負けたときも、僕が良いときも悪いときも、同じ時間や想いを共有してきた。どんなときも、僕にとってファンの方の存在は大きな支えでした。自分がマリナーズのユニフォームを脱ぐと想像したとき、大変寂しい想いになりましたし、今回の決断は難しいものでした」

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