検索

【高校野球】PL学園OB座談会 平石洋介×上重聡×今江敏晃が語る「甲子園」と松坂大輔の衝撃 (3ページ目)

【高校時代のケガを経て学んだこと】

上重 今江さんは中学時代から活躍していましたが、高校のスカウトは何校くらいから来ていたんですか?

今江 ありがたいことに40、50校くらいから声をかけていただきました。

上重 その中からPL学園を選んだ理由は?

今江 中学で所属していたボーイズリーグは、毎日夜の10時まで練習していたんです。電車もないので、親が車を出してくれていましたし、部費や野球道具にもお金がかかっていました。「ここまでやってもらっていたら、絶対にプロにならないといけない」という思いが強くて、甲子園も出たいけどプロの方が優先でした。

 そう考えた時に、PL学園に入った先輩から「プロに行きたいんだったら、絶対PLに来たほうがいい」と言ってもらって、それで決めました。

平石 僕は一択に近かったですね。今江さんと同じで「甲子園には出たいけど、プロに行くならPLやな」という感じでした。当時お世話になっていた方からは猛反対されて、それでもブレずに「PL学園に行きたい」と言い続けて、最終的に認めてもらいました。

今江 プロを目指すなかで、高校、大学、社会人まで経験して、プロを諦めそうになったことはないんですか?

平石 高校1年の冬に左肩を痛めて、2年生の春に大手術したあとは、「プロに行きたい」なんて口に出すのが恥ずかしいと思うくらい投げられなくなっていました。野球選手が投げられなくなったら、本当に面白くないんですよ。

上重 その経験があったからこそ、指導者になってから控えの選手やベンチ外の選手の気持ちに向き合えていましたよね。取材をしていて選手たちからは、「平石さんは分け隔てなくコミュニケーションを取ってくれる、ちゃんと直接伝えてくれる」という声が聞こえていました。

平石 それは意識していました。「レギュラーには言えない」とか、そんなのは組織としてうまくいかないので、意識していました。

今江 みんなが気をつかうようなベテランにこそ、平石さんが「これだけはしっかりやってくれよ」と厳しく言えていたのは、高校時代のそういう経験があったからなんですね。

3 / 3

  • Googleで優先するソースとして追加

Googleの「優先ソース」について

キーワード

このページのトップに戻る