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【高校野球】「仙台育英と間違われていませんか?」 "育英"の名を轟かせた1993年夏 全国制覇の主将は今、母校の監督に (4ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida

 最終的に5対4と接戦を制してベスト8に進出すると、準々決勝の修徳(東東京)戦、準決勝の市立船橋(千葉)戦と、関東勢との激闘が続いた。のちにプロで活躍する高橋尚成(修徳--駒澤大--巨人など)、大学で同級生となった小笠原孝(市立船橋--明治大--中日)といった好左腕と対峙したが、育英の打線は揺るがなかった。

「うちのキーは3番打者の大村でした。彼は左投手をまったく苦にしなかったので、だから1番の僕や、2番の岡本(健二)が出塁すれば、大村がなんとかしてくれるという信頼感がありました。高橋くんのスクリューボールを見極め、小笠原のストレートをコンパクトに弾き返す。対策が見事にはまりました」

 全国の並み居る強豪を打ち破り、ついにたどり着いた決勝の舞台。新チーム結成時に掲げた「甲子園ベスト4」という目標は、すでに通過点となっていた。横浜商大高との激闘を制した頃から、チーム内には「上を狙う」という本気の思いがみなぎっていた。

 そして、1993年8月23日。春日部共栄(埼玉)との決勝の朝を迎える。地元・兵庫代表として甲子園を埋め尽くす超満員の観客。満を持して臨んだ最後の戦いで、安田はアクシデントに見舞われることになる。

文中敬称略

つづく>>

著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

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