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【高校野球】「仙台育英と間違われていませんか?」 "育英"の名を轟かせた1993年夏 全国制覇の主将は今、母校の監督に (3ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida

今季限りで現役を引退する西武の栗山巧も育英野球部OBだ photo by Katsuharu Uchida今季限りで現役を引退する西武の栗山巧も育英野球部OBだ photo by Katsuharu Uchidaこの記事に関連する写真を見る しかし、チームは2年夏の兵庫大会でベスト4に終わり、甲子園切符を逃す。新チーム結成にあたり、主将に指名されたのが安田だった。

 日下篤監督(当時)が1、2年生を集めて口にしたのは、「甲子園ベスト4」。選抜の8強を超えるための高い目標だったが、秋の兵庫大会は2回戦で敗退。翌春も県ベスト8止まりと、決して順風満帆とは言えない道のりだった。

 それでも、新聞や雑誌の展望記事は「夏の本命は育英」という文字が並んだ。春の近畿大会を制した姫路工や、前年夏の覇者・神港学園など、強豪ひしめくなかでも、当時の育英が持つポテンシャルは群を抜いていた。

 それを象徴するのが、1993年夏の兵庫大会決勝だ。近畿王者・姫路工との一戦は7回まで0対0と、手に汗握る投手戦となった。

「5回ぐらいでしたか、たしか一死三塁のチャンスがあって、僕が三振を取られたんです。自分で言うのもなんですが、普段はあまり三振しない打者だったんです。あの時は自分に対してイライラしてしまって。とにかくひとつのミスも許されない緊迫した雰囲気でした。姫路工さんは本当に強かった。もしかしたら、甲子園に出ていたチームより強かったかもしれません」

 試合は8回に1点を先制し、そのまま1対0で兵庫の夏を制した。優勝候補の重圧を跳ね返したチームは、勢いそのままに聖地へと乗り込んだ。

【怒涛の快進撃で夏の甲子園決勝に進出】

 1993年夏の甲子園、育英の快進撃が始まった。初戦の秋田経法大付(現・明桜)を14対4、2回戦の旭川大高(現・旭川志峯/北北海道)を11対3と、圧倒的な打力で退けた。

 続く3回戦の相手は横浜商大高(神奈川)。これまでの大勝とは打って変わり、1点を争うしびれる接戦となった。

「先制されては取り返して、という展開でした。不気味だったのは、うちが勝ち越しても、相手ベンチがガクッとなる様子がいっさいなかったこと。『打ち返せばいいじゃん』という関東チーム特有のノリというか、堂々とした雰囲気に凄みを感じましたね」

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