【高校野球】「早実OBの王だけど、監督、おめでとう」 世界の王貞治から届いた留守電に涙...和泉実が明かす初めての甲子園 (3ページ目)
「帝京と打ちっこ(打撃戦)になった。エースで4番、キャプテンの村上(友一)が前の試合までずっと投げていて、もう肩が上がらない状態だった。初回にホームランを打たれて、『決勝だからコールド負けはねぇぞ』って(笑)。そしたら2年生の野口順平が打って逆転してさ。2イニングで2時間ほどかかったんじゃないかな」
試合は壮絶な打撃戦となったが、早実は最後に力尽きて13対15で敗れた。13年ぶりの夏の甲子園には、あと一歩届かなかった。
【退路を断った投手の覚悟】
この試合には野口をはじめ、長島由典ら2年生も多く出場しており、新チームは秋の優勝候補に挙げられていた。ところが、秋季大会は1回戦で堀越に敗退。先発した曽根岡敦史が四球から崩れ、自滅するような形で敗れた。
「彼は先発に向いてなかった。先発を言い渡されると、マウンドに上がるまで時間があるじゃない。その間にいろいろ考えちゃって、気持ちが揺らいじゃうんだね。でも、ピンチでリリーフに行かせると、いいピッチングをする。だから、『野口が先発、曽根岡が抑え。夏はこれでいこう』と」
1996年夏は、初戦の学芸大付にコールド勝ちして好スタートを切ったが、翌日、野口の腕には包帯が巻かれていた。
「盗塁した時に腕を地面について、捻挫したっていうんだ。それで、下級生の花又(実)は球が遅かったけど先発させて、曽根岡を抑えに回して、なんとか勝ち進んだ。キャプテンの坂名(信行)がサヨナラホームランを打ったりしてね」
準決勝の駒大高戦では4点を奪ってリードしたものの、すぐに逆転を許し、早い回から曽根岡を投入した。和泉は、この試合のベンチ内の様子を今も鮮明に覚えている。
「曽根岡もアップアップで、ベンチでは『監督、曽根岡を代えましょう』という選手もいる。でも、ブルペンキャッチャーが『曽根岡で絶対に大丈夫です』って言うわけ。意見が分かれちゃったんですよ。
それで8回だったかな。俺が曽根岡に『代えるぞ』って言ったんだよ。普段は寡黙なヤツなのに、『嫌です』って言うの。『おまえとつき合ってたら、甲子園は行けねえよ』って言ったら、『だったら、フォアボールを出したら代えてください』って、自分で退路を断ったの。そしたら、そこからピシャリ。人が変わったように、いいピッチングをした」
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