【高校野球】金村義明がセンバツで見た"スゴすぎる槙原寛己"「甲子園の大観衆が静まり返った」 (3ページ目)
【厳しすぎた初出場のセンバツ】
岡田 金村さんのイメージは4番でエース、天才肌という感じでしたけど、実はそういう陰の努力があって、その根源にはお母ちゃんへの親孝行があったんですね。そして、いよいよ報徳学園の高校時代はどうでしたか?
金村 関西の(中学の)エースで4番ばっかりが集まっていて、1年生(部員)だけで140~150人。今も全体で150人ぐらいいて、4軍まであんねんけど、僕らの時は(練習が)厳しいから卒業する時は20人ぐらいまで減んねん。野球部をやめてラグビー部に行ったり、サッカー部に行ったり。
岡田 そこで金村さんは頭角を現したんですね。
金村 でも、最初は背番号をもらえないやん。最初の番号は18番だったかな。「あいつより俺のほうがうまいのに」って思っていても、監督は裕福な家庭の子が好きでな(笑)。
岡田 ちょっと待て待て。余計なこと言わんでええねん(笑)。
金村 母親にも「お前が中途半端やから裕福な家庭の子に負けるんや」って怒られて(笑)。烈火のごとく「どんな思いでお前を学校入れたと思っているんだ! 3倍努力せい!」って言われて、そこから"ひとり巨人の星"で頑張って、エースナンバーの1番をもらいました。
それでやっと甲子園に近づいたと思ったのに、(3年の)センバツは近畿大会でPL学園に負けたんです。それでも、ぎりぎり選ばれて出場が決まった。みんなは監督の胴上げをしていたけど、僕は自転車でお母ちゃんのところに行って「甲子園決まった」って言うて、「これでスカウトの目に留まる」って思った。
岡田 夢が現実になって、当然お母さんも甲子園に観に来たんですよね?
金村 毎試合来ていました。地元が近いしね。1回戦の相手は愛知県代表の大府高校で(エースは)槙原寛己(元巨人)や。でも、公立高校だし、「知多半島ってどこ?」って感じだった(笑)。
岡田 今みたいに情報はたくさんないしね。
金村 そう、ほんまに。当時はみんなソリコミを入れてたんやけど、僕だけ青ゾリになるのが嫌で、気合いを入れて、毛抜きで抜いて。甲子園での入場行進の予行練習の時に、「大府高校って、どんな高校や」って(相手のところまで)かましに行って「槙原呼べ!」とか言って(笑)。
岡田 むちゃくちゃやな。
金村 そんな感じで気合いが入っていたんやけど......。試合開始のサイレンが鳴って槙原が投げたら、甲子園の大観衆がシーンと静まり返ったんです。忘れもせえへん。
岡田 槙原選手が、どれだけすごいかって情報も全然なかった?
金村 事前に情報雑誌を見たら、「ピッチャー槙原はスゴい」って書いてあったんやけど、大府高校の打線評価は「B」って書いてあるし、「俺のほうがスゴいやん」ぐらいにしか思ってなかった。自信過剰のうぬぼれ屋やから。だから、(実際の槙原の)投球を見てびっくりした。それでも「槙原に負けん」と思って、力まかせに1回からストレートだけをバンバン投げたら、2回で5点取られた。B評価打線に(笑)。槙原にもライト線に打たれて。入場の予行練習では「おーい、槙原」とか言っていたのに、しゅーんとなって(笑)。
岡田 お母ちゃん、泣くで、ほんまに(笑)。
金村 甲子園始まって以来の報徳学園初戦敗退。監督には「お前のひとり相撲で負けた」「野球やめろ」とまで言われて。でも、バッティングはよかったんや。たまたまバットを短く持って、目をつぶって振ったら槙原から3本ヒットを打てた。ホームラン、2塁打、ヒットの3打点。1回戦で負けて泣いてたんやけど、ある雑誌に「今大会最高打者」って書かれていて、「よし、バッターや!」って(笑)。
岡田 立ち直るのが早いなあ(笑)。センバツのあと、夏の甲子園はどう迎えましたか?
金村 バッターでいこうと思ってからは、バッティング練習ばかりしてました。槙原だけじゃなくて、各校スゴいピッチャーがいたから、もう無理だなと思って。
【Profile】
金村義明(かねむら・よしあき)/1963年8月27日 兵庫県宝塚市出身。現役時代はNPBのオールスターゲームと公式戦でのサイクルヒットなど数々の記録を残した。現在は野球解説者、野球評論家、タレントとして活躍。2017年12月からは兵庫県高砂市観光交流ビューローからの委嘱によって「高砂応援大使」を務めている。
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