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【高校野球】金村義明がセンバツで見た"スゴすぎる槙原寛己"「甲子園の大観衆が静まり返った」 (2ページ目)

岡田 小学生の頃はそういうルーティンがあったんですね。

金村 当時は、(球場内に)ファンブックが置いてあって、そこに選手の自宅住所とか、電話番号とか、乗っている車とかが全部書いてある。だからそれを見て、高台の高級住宅街に行って、インターホン押して、ワーッと逃げて......それで足腰を鍛えてた(笑)。当時の阪急の1番福本豊、2番大熊忠義、3番加藤秀司、4番長池徳士って順番に家を回ったけど、(5番の)スペンサーの家だけは行っていないな。

岡田 誰が打順どおりに家を回れと言った!(笑)

金村 そのなかで一番大きい家が4番の長池さんでした。

岡田 金村少年はそんなふうに小学校時代を過ごしていたんですね。中学校は?

金村「中学から報徳学園に行かしてくれ」って親に頼んで、行かせてもらいました。今考えると、ようあんなこと言うたなと思います。

岡田 当然、私立は学費が高いですよね。

金村 兄貴も中学から報徳学園に入れてもらってたんです。クラブチームで、キャッチャーで4番で有名だったから。

岡田 お兄さんは推薦か何かで?

金村 違う。受験勉強をして入りました。それに輪をかけて「俺も入れてくれ」って。でも、お父ちゃんには1週間泣いて頼んでも「あかん」、土下座しても「あかん」って言われて。その姿をけなげに思ったお母ちゃんが清掃の仕事にも行ってくれて(仕事を増やしてくれた)。お父ちゃんにも「うるさいから頼む。この子は勉強もできるから」と言ってくれて、「もう勝手にせえ」と。

 報徳学園中学に入ってからは、成長痛とかいろいろあるなかでも、毎日壁当てをしたり、トラックのタイヤに竹バットで打ちつけたり、自転車のチューブでインナーマッスル鍛えたり......あのチューブの筋トレは俺が考えたんやで(笑)。そんなふうに練習していました。

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