【高校野球】「もう一度、甲子園へ」の希望が絶望に変わった日 伝説の超個性派集団・那覇高校に起きた悲劇 (4ページ目)
高校3年夏の大会前に退部したと語る長嶺勇也氏 photo by Matsunaga Takarinこの記事に関連する写真を見る【最後の夏の大会前に退部】
そして長嶺は、秋季大会以降の記憶がないという。
「(学校側に抗議して、練習ボイコットなどをしていたのは)結局、最後は3名になってしまい、(金城)佳晃は池村さんからの『やめるな』という言葉で戻っていきました。僕も言われたのですが、バッテリー間で全然うまくいかないこともあって、夏の大会前に辞めました」
高校2年夏に主力として甲子園に出場し、複数ヒットを放った男が最後の夏の大会前に退部したのだ。
18歳の少年にとって、先頭に立って周囲との軋轢を抱えながらも義を貫き、学校側と戦った日々は、ストレスとプレッシャーに満ちていたに違いない。人間は必要以上に神経と力をすり減らすと、その期間の記憶が真っ白になってしまうことがある。いわば自浄作用だ。
それほどまでに、長嶺にとって高校2年の秋から高校3年の夏までの9カ月間は、学校組織の理不尽さとやるせなさを全身で体験する日々であり、どれほど声を枯らして咆哮を上げたかったことだろう
「最後の夏の試合は、バックネット裏で見ました」という長嶺に、それは元キャプテンとしての責任感からなのかと問うと、「どんな感じの試合をするのかなという......」と、そこから言葉が途切れた。これ以上、聞くのをやめた。
那覇は1回戦で、前年の決勝で戦った沖縄水産と対戦し、2対3で敗れてあっけなく夏を終えた。
その後、池村はおかやま山陽高校の監督に就任したが、体罰指導で保護者から訴えられ高校野球界から事実上、追放の身となる。そして43歳の若さで鬼籍に入った。
最後に、高校3年の夏を前に退部したことについて悔いはなかったのかと長嶺に尋ねると、ほんの一瞬だけ目線を遠くに向けたかと思うとすぐに戻し、はっきりした口調でこう言った。
「ないです。行動が正しかったのか、正しくなかったのかはわかりませんが、後悔はありません」
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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