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【高校野球】「もう一度、甲子園へ」の希望が絶望に変わった日 伝説の超個性派集団・那覇高校に起きた悲劇 (2ページ目)

  • 松永多佳倫理●文 text by Matsunaga Takarin

ダンゴムシ打法で甲子園を沸かせた比嘉忠志氏 photo by Matsunaga Takarinダンゴムシ打法で甲子園を沸かせた比嘉忠志氏 photo by Matsunaga Takarinこの記事に関連する写真を見る アップする際のTシャツもバラバラだったのが、誰からともなく「みんなで揃えようぜ」となり、自然と一致団結するようになっていた。選抜の道は断たれたが、「最後の夏はもう一度甲子園へ」と希望を膨らませていただけに、池村の解任の知らせはまさに夢を打ち砕かれたような衝撃だった。

【意地になって引くに引けない状態に】

 池村の指導法はじつに合理的であり、選手たちにとっては目からウロコの連続だった。トレーニングにしてもただ単調なことをやるのではなく、たとえば腹筋を鍛える場合はV字にほかの筋トレを組み合わせたりして、選手たちが飽きないように創意工夫されていた。

 また、シートバッティングや紅白戦で、ちょっとでもミスがあれば「どうしてそうしたの?」と常に疑問を投げかけた。どうしたら勝てるのかを選手たちで考える能力を養うため、プレッシャーをかけ続けたのだ。

 ベンチ入りメンバーを決める際には、長所を伸ばす野球を遂行するため一人ひとりと面談をして納得のもと、代打、守備、代走要員をつくっていった。前年夏の甲子園で注目を集めた「ダンゴムシ打法」の比嘉忠志が振り返る。

「部室で着替えてからグラウンドまで走っていくなかで、落ちているゴミを拾わないと怒られましたよね。よく見ているなぁと思いました。普段から注意深くすることで視野が広がるというか、集中力が増しますよね。監督が来たらピリッとします」

 グラウンドに緊張感を持たせることは、戦う集団にとって必要不可欠である。池村は、強豪校に比べて技術や体力で劣る分、普段の生活からも厳しく叱咤することで集中力を養わせた。そんな池村を選手たちは「池さん」と慕い、長嶺もまた、自身の野球観を大きく変えてくれた池村に心酔していた。

「秋季大会は準決勝で、選抜に出場することになる宜野座に敗れましたが、(その前の)8月はほぼ甲子園で、新チームの始動はかなり遅れましたし、僕ともうひとりの主力がケガで欠場するなか、準決勝まで進んだんです。

 来年の夏までにはまだ時間があるし、しっかり練習を積めばもう一度甲子園に行けると思っていました。だからこそ、池村さんの監督復帰を強く望み、意地になって引くに引けない状態になっていったのかもしれません」

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