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【高校野球】「もう一度、甲子園へ」の希望が絶望に変わった日 伝説の超個性派集団・那覇高校に起きた悲劇 (3ページ目)

  • 松永多佳倫理●文 text by Matsunaga Takarin

左利きの三塁氏として活躍した金城佳晃氏 photo by Matsunaga Takarin左利きの三塁氏として活躍した金城佳晃氏 photo by Matsunaga Takarinこの記事に関連する写真を見る 周囲の目には"わがまま"と映るなか、時には練習をボイコットすることもあった。練習試合でもふてくされた態度で臨むなど、甲子園で見せたあの輝きはすっかり消え失せてしまった。

【ぞれぞれの思いが交錯しチームは空中分解】

 憤懣やるかたない思いを抱えた2年生全員は、話し合いのたびに泣きながら感情をぶつけ合った。最初こそ一致団結していたものの、学校側との交渉が長引くにつれて、次第に分裂していった。

 長嶺が言う。

「(練習のボイコットをしたものの、大学の)推薦のこともあるので、学校側を敵に回したくないという理由でチームに戻る者もいれば、成底のように『最後まで野球を続けたい』という強い思いから戻っていった者もいました。そうやってチームは次第に分裂していったんです」

 キャプテンとして20人の選手をひとつにまとめたい思いが強かっただけに、長嶺にはやるせない思いが募っていった。

 監督問題は年を越し、春頃まで紛糾した。チームは空中分解のまま春季大会に出場し、エースの成底と長嶺のバッテリーはもはや修復不能の状態だった。準決勝の浦添商戦では長嶺のパスボールが決勝点となり、0対1で敗れた。

 左投げのサードの金城佳晃が、当時を振り返り切々と話してくれた。

「僕自身も理屈っぽくて生意気なところがあったので、長嶺と一緒に最後まで学校側と戦いました。最初は『指導できる学校の先生を監督にする』という理由で池村さんを解任したはずなのに、時々教えてくれていたOBの方が監督に就任したんです。

 だったら『最初から池村さんを辞めさせる必要があったのか』という話になりますよね。どうしても納得できませんでした。結局は学校側の都合に振り回されてしまった感じで、最終的には(チームに)残ることになったんですけど......」

 金城はそれ以上、話すことはなかった。

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