【夏の甲子園2025】新潟・中越のドラフト候補が「投げ方」を忘れた日 一度は引退を決意も、諦めずに辿り着いた甲子園のマウンド (2ページ目)
【「選手を引退して、マネージャーになろうか」】
石山は自分自身を「リセット」することを決断する。
「1回、秋までにやってきたことを忘れよう。またイチからフォームを作り直して、進化させるくらいのつもりでやろう」
秋までの石山は、「ボールが高めに抜けてしまう」という課題があった。そこで、「"上から叩く"腕の振りにしよう」と改善。さらに「下半身をしっかり使えるようになろう」と体重移動を意識した。周囲は技術指導、メンタルケアと献身的にサポートしてくれた。
投手としてカスタマイズし直す作業。それは精神、肉体ともにすり減らす日々だった。当然ながら、思うようにいかないこともある。
チームを甲子園に導き、自分はプロへ行く。その夢を叶えるためのタイムリミットは迫っているのに、自分はマウンドに上がることすらできない。次第に、石山の内面は蝕まれていった。
「プロなんて、まったく考えられなくなりました。もうピッチャーをやめて、選手を引退して、マネージャーになろうかと思いました」
5月下旬、本田仁哉監督に引退を申し出ると、「それは違うだろう」と説得された。本田監督は、石山の復活を信じていた。
「苦しかったと思います。3、4月は、まったく投げられませんでしたから。でも、石山はグラウンドだけでなく、日常生活でもボールを離さないくらいでした。普通なら、ボールなんて見たくなくなると思うんです。ここまで努力できる子はいませんでした」
石山は、修羅の世界で戦い続ける道を選ぶ。そして、ようやく光が見えたのは6月下旬のこと。夏の新潟大会は、ほぼぶっつけ本番だった。
【諦めなかった石山に訪れた突然の進化】
関根学園との新潟大会準決勝、4回からリリーフ登板した石山は力がみなぎるような感覚を抱いた。
「下半身と上半身が、しっかり連動している感覚がある。自分の持っている力以上のボールが投げられている感じがする」
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