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【夏の甲子園2025】「平和に感謝できる人間をつくりたい」 開星・野々村監督が一度は終えた高校野球の世界に再び身を置く意義 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

【選手たちに伝える人生訓】

 野々村監督に聞いてみた。甲子園で再びユニフォームを着て、スイッチが入る感覚はあったのか。沸き立つものはあったのかと。野々村監督はこちらを見つめて、穏やかな口調でこう答えた。

「僕はもう60歳で一度終わってましたから。画家でしたから。(監督に)戻されて......って言っちゃいけないけど、本当に1〜2年でいい野球部をつくって、終わるつもりだったんです。きちっと挨拶ができる、マナーのある、みんなから好かれる野球部をつくってバトンタッチするつもりでね。それがズルズルここまできたんだけど。

 1回(気持ちが)切れたんで。高校野球は60歳の時に、スパッと切れたんで。すごくしんどいですよ。復帰して5年経っても甲子園に出られなかったら、もうダメだとも思っていました。僕は人生には旬の時期ってものがあると思う。だから、ここまでくるのはしんどいですよね。でも、まさか甲子園で勝ってくれるなんて。全部子どもたちのおかげですよ」

 この言葉だけを聞くと、監督としては完全に「枯れてしまった」という印象を受けるかもしれない。だが、本当にそうなのだろうか。

 ミーティングで人生訓を語ることがあると明かした野々村監督は、報道陣からどのような内容を話すのかと問われると、急に饒舌になった。

「こういう日本人にならんといかんぞとか、野球以外のことを話していますよ。毎年、広島の江田島(特攻隊員の遺書など資料が残る教育参考館)へ連れていって、話すんです。今の平和があるのは、特攻隊の方々の命があってこそ。だから、おまえらは大好きな野球ができるんよ。腹いっぱい食えるんよと。

 強い体をつくって、いい選手になるために食べなさい。当時は食べられなかった時代なのに、おまえらはもっと食べろと言われる時代に生きてる。それも、野球で。もう、感謝しかないだろうと。そういうことは常に言っていますね。僕は平和に感謝できる人間をつくりたいと思っています」

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