【夏の甲子園2025】「平和に感謝できる人間をつくりたい」 開星・野々村監督が一度は終えた高校野球の世界に再び身を置く意義 (2ページ目)
「今は自然体で野球が見られる。名将と言われる監督は、こんな感じの冷静さでサインを出しているのかな。ワシもこれくらいの冷静さで試合に入れていれば、甲子園でもうちょい勝てたかな?」
もはや完全に、戦いの場から身を引いたはずだった。だが、運命が大きく変わったのは、2020年のことだった。
【タイブレークの末にサヨナラ勝利】
開星の監督に電撃復帰。野々村監督は何度も固辞したというが、最終的には不祥事のあった野球部を再建してほしいという校長の懇願に応える形になった。
それから5年の時が経ち、野々村監督は73歳になった。
夏の島根大会決勝は、松江南を26対2という歴史的スコアで破り、甲子園出場を決めている。だが、島根大会の優勝監督インタビューに答える野々村監督は、どこか醒めているように映った。
「キャプテンを中心に、全部自分たちでつくりあげたチームですから」
監督として14年ぶりの甲子園に出る感慨を問われた野々村監督は、素っ気なく「そうですか」と応じ、こう続けた。
「もうやっちゃいかん歳ですけどね。子どもたちのおかげで甲子園に連れていってもらえて、感謝しています」
甲子園での抱負を聞かれても、「わからんですね、行ってみんと」と威勢のいい言葉は出てこない。照れもあるのだろうが、どこか他人事のようにも映った。
宮崎商戦の試合前の会見でも、野々村監督が高ぶった様子を見せることはなかった。試合前の選手たちの様子を聞かれても、「普段からあまり接してないんでね」。マークしている選手を聞かれても、「わかんない。昔からわかんないほうがいいんですよ、僕は」と、どこ吹く風だった。
しかし、いざ試合が始まると、お互いに点を取り合う熱戦になった。5対5の同点で延長10回タイブレークにもつれ込み、開星が6対5とサヨナラ勝ちを収めている。
試合後の会見では「玉砕」発言こそあったものの、野々村監督は終始「選手に任せてきた」「やってきたことを出してくれたらいい」といった言葉を繰り返した。
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