藤浪晋太郎が明かした阪神時代に苦しんだ制球難 「眠れなかったり、夢でうなされて起きたり、円形脱毛症にもなったり」 (3ページ目)
一つひとつを振り返りつつ、今なにより思うのは自身に向けた反省だと語った。
「『あれ?』と思い始めたところで、オレはこれまでこういう投げ方、こういう感覚、こういう調整でやってきたよな、と信じきれなかった。なんか違うと思いながら、これが人間本来の動きだと言われると、その動きや形に寄せていこうとしたりして......。試すことは悪くなかったと思うんですけど、『変わらなきゃダメだ』『変えなきゃダメだ』という意識が強すぎたんだと思います」
高校時代から現場に満足せず、「もっともっと」「まだまだ」と求め続けてきた。その向上心が「裏目に出てしまいましたね」と、藤浪はつぶやいた。
2018、2019年とどん底の状態で苦しみ、復調の兆しは見えたが確信を持てるまでには至らなかったという2020、2021年を経て、「これをやっておけば......みたいなものが見えてきた」という2022年のプロ10年目のシーズンを終えたオフ、メジャー挑戦を決断した。
【野球が嫌いになったことは一度もない】
状態も整ってきたところで、環境を変えようと思ったのだろうか。
「というか、単純に挑戦したくなりましたね。プロに入った頃から、大谷(翔平/ドジャース)ほどではないですけど、漠然とした憧れはあったんです。それに自分は、いま置かれているところよりもひとつ上の世界にチャレンジするような状況が合っている。常にムチを入れないとダメなタイプだと思うんで、そういう意味でも挑戦してみようと」
アスレチックスでのメジャー1年目の一昨年は、先発でスタートするも結果を残せずリリーフに配置転換。すると投球が安定し始め、7月半ばにオリオールズへ請われて移籍。シーズントータルで64試合に投げた。
オフにメッツへ移籍し、迎えた2年目は前年の中盤以降の投球から期待が高まったが、オープン戦から制球に苦しみ、マイナーへ降格。5月には右肩痛により故障者リスト入りし、結局メジャーのマウンドに立つことなくシーズンを終えた。
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