プロに届かなかった大阪桐蔭の天才打者が振り返る栄光と挫折の野球人生 自分を拾ってくれた指揮官からの「クビ宣告」 (4ページ目)
「将来的には野球に携わりたいというのはもちろんあります。僕は人付き合いもそんなに深いほうではないので、野球指導者をやってほしいという人はなかなかいないかもしれませんが、ゆくゆくは野球の環境に身を置けたらなという願望はあります」
もし高校の時にプロ志望届を出していたら、何位で指名されたのだろうか。
「高校3年時の実績だけをみれば、3位ぐらいでかかっていたかもしれませんね。でも、プロに行くなら1位か2位じゃないと、と思っていました。今となってはですが、下位指名からのし上がっている人なんていくらでもいますよね」
プロには縁がなかった。ただ、「後悔はありません」と笑顔で振り返る。今は新たな夢に向かって、ゆっくりと歩を進めていく。
著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう
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