プロに届かなかった大阪桐蔭の天才打者が振り返る栄光と挫折の野球人生 自分を拾ってくれた指揮官からの「クビ宣告」 (3ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

 遠回りを重ねて輝きを取り戻し、「プロの窓みたいなものが見えてきた」という。しかし、ドラフトイヤーとなる2020年は、コロナ禍が始まった年でもあった。

 大会は軒並み中止となり、スカウトの練習やオープン戦視察にも制限がかかる。唯一の公式戦となった都市対抗も、前年優勝チームは主催者推薦で出場できるため予選は免除。本戦は東京五輪の影響でドラフト後の11月開幕が決まっており、アピールする場がまったくなかった。

「今川はプロからの調査書が10球団ほど届いたらしいですが、僕はゼロでした。ドラフトで指名されなかった時に、プロ入りはあきらめました」

【26歳で現役引退】

 そこからは気持ちを切り替え、都市対抗10年連続出場を目指した。2022年にはHondaの補強選手として、4年連続で東京ドームの舞台に立った。

 しかし、自身のなかでは「1年目がピークでした。ビギナーズラックですね」と振り返る。高校の時は苦手の内角球をファウルすることができたが、社会人投手相手ではたやすいことではない。3年目以降は「内角に弱い」というデータが浮き彫りになり、結果を残すことが難しくなっていった。

「引っ張っている打球は全部変化球で、真っすぐは100%打っていません。データを取られると、内角を打てないというのは野球人としてしんどいですよね。練習はしたものの、実戦になるとやはり打てませんでした」

 2022年、JFE東日本は都市対抗と日本選手権の2大大会に出場することができず、何かを変える必要があった。そのオフ、自分を拾ってくれた落合監督から「クビ」を宣告された。かつて大阪桐蔭で「天才」と評された打者は、26歳でユニホームを脱いだ。

 今は社業に専念しているため、たまに草野球をやる程度だ。ただ、高校、大学、そして社会人で日本一に輝いた経験は、誰もができることではない。昨年、野球インフルエンサーチーム『パワフルスピリッツ』のセレクションで、軟式球を豪快に柵越えしてみせるなど、華麗なバットコントロールは現役当時と変わらない。

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