不祥事のチームを託され経営者から高校野球の指導者に 聖カタリナ・浮田宏行監督はなぜ1年半で甲子園へとたどり着いたのか? (2ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

 しかし、寮生活の乱れから端を発したチーム内の問題は、簡単に解決することはできない。

「2023年2月1日に選手たちと保護者に会いました。校長に紹介された時には、みんなが『これからどうなるんだろうか』という不安そうな顔をしていたことをよく覚えています」

 選手や保護者にとっても、監督にとっても不安含みのスタートだった。

「不祥事の影響で、指導者との信頼関係はありませんでした。彼らは彼らなりに自立しているというか、『勝手にやる』という雰囲気でしたね。私は『地域に愛される野球部になろう』と言いました。掃除や整理整頓、学校での行動、身だしなみなどをきちんとしようと。だた、そういうことを急に言われたことで、選手たちがざわついたというか、反発した部分があったと思います。そんななかで、指導者的な役割をしなければいけなかったキャプテンは本当に大変だったと思います」

 浮田監督に指導者としての経験はないが、会社経営で培ったコミュニケーションとチームづくりのノウハウがあった。

「もともとポテンシャルの高い選手が県外からも集まってきていました。大事なのはチームとしてまとまることだったんですけど、ひとつになれそうなところでつまずいてしまっていました。私は長く会社経営をしてきたので、チームを会社になぞらえて、選手たちにはいろいろな話をしました。チーム力とは何か? 組織力とはどういうものか? そういうことを選手たちに話をしました」

【チームを変えたエースの変身】

 チーム競技である以上、大事なのは個人の成績ではなく組織の勝利だ。

「全員が同じ方向を見ていないとチームがうまくいくはずがない。『誰かひとりでも反対を向いとったらいかん』と話しました」

 浮田監督が指揮官として初めて臨んだ春季大会は、中予地区代表決定戦で松山学院に敗れた。3年生にとって最後の大会となる夏の愛媛大会まで3カ月ほどしかなかった。

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