PL学園「最強世代」とも呼ばれた主将・今江敏晃たちの代は、戦わずして最後の夏を終えた「悲劇の世代」となった (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

 そして今江が甲子園で最も悔いを残した試合こそ、3回戦の智辯和歌山戦である。

「事実上の決勝戦」と謳われた近畿の強豪同士の一戦は、壮絶な打ち合いとなった。1対9と大量リードを許した5回裏からPL学園が猛追。一時は2点差まで詰め寄る白熱したゲームを演じたが、結果的に7対11で敗れた。両チーム合わせて31安打の乱打戦だったが、今江は5打数無安打と沈黙した。

「あの試合は、かなり苦い思い出ですね。智辯和歌山戦は3回くらいチャンスがあったのに打てなくて......。そこで1回か2回でも僕が打てていれば、勝てていたと思うんですよね」

【新チームでは主将に任命されるも...】

 不完全燃焼の夏が終わり、今江はキャプテンとなった。新チームには、今江とともに甲子園メンバーだった朝井、桜井がいたためチーム力の高さは健在だったが、慢心があったと今江は語る。

「すごいメンバーが揃っていたから、自分らの代も甲子園に行けるやろうって」

 秋は大阪大会準決勝で中村剛也(西武)や岩田稔(元阪神)、西岡剛(元ロッテほか)が主力を務める大阪桐蔭に敗れ、3位決定戦でも敗戦を喫し、センバツ出場が絶たれた。さらに春の大会でも大阪桐蔭に連敗。

 そして夏の大会を目前に控えた6月、部内の暴力事件が明るみになったことで半年間の対外試合禁止処分を受けることとなり、今江たちは戦わずして高校野球を終えた。

「先輩たちが築いてくれたPL学園の名を汚してしまったこと、後輩たちにセンバツ出場のチャンスを消してしまったことが本当に申し訳なく思いました。自分らの代は、メンバーはすごかったけど、チームワークがなかったというか......。キャプテンとしてチームをまとめられなかった責任は感じています」

 最強世代となりうるポテンシャルを秘めた今江たちは、「悲劇の世代」として名を残すことになった。

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今江敏晃(いまえ・としあき)/1983年8月26日、京都府出身。PL学園から2001年のドラフトでロッテから3巡目で指名され入団。05年、10年の日本シリーズでMVPに輝くなど、2度の日本一に貢献。06年には第1回WBCの日本代表メンバーに選ばれ世界一に貢献。16年から楽天でプレーし、19年に現役を引退。引退後は楽天の育成コーチ、打撃コーチなどを歴任し、24年から一軍監督に就任し、交流戦で優勝を果たした

著者プロフィール

  • 田口元義

    田口元義 (たぐち・げんき)

    1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。

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