1996年夏の甲子園決勝「奇跡のバックホーム」から続く熊本工業と松山商業の交流 元指揮官が振り返る当時とその後 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro

 監督を退任し、現在は松山商業野球部OB会顧問として後方支援に徹する澤田は言う。

「高校野球の監督としての目標は、全国制覇です。でも、目的は野球を通じて"人間形成"をすること。いろいろな経験をした結果、『目標は全国制覇、目的は人間形成』という言葉が生まれました。目標と目的はまた違う。そこを間違えないようにと考えながら、指導をしてきました」

 一日にして、いや、わずか10分ほどでヒーローになった矢野は高校卒業後、地元の松山大学に進み、キャプテンとして全日本選手権出場を果たした。

「あの試合を境に、矢野の周りは大きく変わりました。秋に開催された国体でもファンの人に囲まれてね。それまで列の一番後ろをついて歩くようなやつだったのに、堂々と先頭を歩くようになりました。でも、人間的にはまったく変わらん」

 矢野は、傲慢なスーパースターにはならなかった。どれだけ騒がれても「素直で謙虚」な選手のままだった。28年が経った今、愛媛朝日テレビで勤務しながら、高校野球を支えている。

著者プロフィール

  • 元永知宏

    元永知宏 (もとなが・ともひろ)

    1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長

フォトギャラリーを見る

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る