1996年夏の甲子園決勝「奇跡のバックホーム」から続く熊本工業と松山商業の交流 元指揮官が振り返る当時とその後 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro

「あのシーンを三塁側のスタンドから撮影した人がおる。それは、ライトの矢野、中継役のセカンドの吉見宏明、ファーストの今井康剛、捕球したキャッチャーの石丸裕次郎、そのバックアップに入ったピッチャーの渡部真一郎が一直線に並んでいるのがわかるものでした。サヨナラ負けのピンチの場面で、あんなフライを打たれたらピッチャーはがっくりしてマウンドで膝をついてもおかしくない。でも、渡部はすぐにバックアップに走っていった」

 大観衆のほとんどが「終わった!」と思った打球だったが、松山商業の選手たちは誰もあきらめていなかった。

「練習どおりに一直線。全員が本能で動けるまで練習を繰り返した証しやね。最後まで、みんなが松山商業の野球をやり抜いたことがうれしかった。あれができたから日本一になれたんだと思います。松山商業の伝統を物語っている」

【勝者と敗者に分かれたあとも人生は続く】

 もうひとつ、澤田には忘れられないシーンがある。

「10回裏のピンチの場面で内野手がマウンドに集まった時、サードの星加逸人がピッチャーの渡部の頬をつねった。全国の人たちが注目する場面で平気でああいうことができるのが星加のすごいところ。渡部との間に信頼関係があったんやろうね」

 9回裏、1点リードの場面で同点ホームランを打たれ、2年生の新田浩貴が崩れ落ちるのを見て、マウンドで抱え上げたのは星加とキャプテンの今井だった。

「最後の最後に、選手たちのつながりが見えた試合でした」

 この話には続きがある。

「熊本工業の選手たちとはその後も話す機会があるんやけど、あのバックホームで三塁ランナーの星子くんがアウトになるのを、ホームベース近くで見ていた四番打者の西本洋介くんはこう言っていました。

『僕はあの場面を悔やんでいるんです。なぜ星子を抱き上げてやれんかったんやろう。そこが優勝と準優勝の違いだったと思います』と」

 それを聞いた澤田は西本にこう言ったという。

「おまえはたいしたもんじゃのう。それに気づいて、本当にえらい」

 あの日、日本一を目指して戦った男たちは勝者と敗者とに分かれた。しかし、人生は続いていく。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る