常総学院「木内マジック」の裏側...1987年夏の甲子園準優勝投手・島田直也を勇気づけた木内幸男の言葉 (3ページ目)
【「大丈夫だ」やる気にさせた監督の話術】
夏も県大会を制し、常総は甲子園に春・夏連続出場しました。春は初マウンド、初打席で思わず足が震えましたが、一度経験済みなので心境としては怖いものなしです。
それは抽選会での出来事も大きかった。相手校が決まった時に隣にいた木内さんが、手元にあるデータを見ながら「大丈夫だ」とはっきり言ったんです。
僕は現在、常総の監督を務めていますが、目の前の選手にそんなことはとても言えない。でも、この時の木内さんは、本心から大丈夫と判断して言ってくれた気もするし、話術で選手を乗せることに長けている人だったので、僕の性格を知ったうえでやる気にさせてくれたのかもしれません。真意のほどはわかりませんが、その言葉でかなりラクになったのは確かです。
思っていたとおりの展開で福井商(福井)を破り、初戦突破。一度勝ってしまうと、欲が出て、もっと勝ちたいと思う自分がいました。2回戦の相手は沖縄水産(沖縄)で、エースは1年の時から甲子園に出場して注目されていた上原(晃/元中日ほか)です。「無理、打てないよ」と周りが言うなかで、僕だけはそうは思っていなかった。
モチベーションになったのは、「上原と投げ合って勝てば、俺も注目されるんじゃない!?」。子どもの頃からの夢は、プロ野球選手になること。その時の自分には、そんな単純な考えこそ勝つための大きな原動力になっていました。
沖水有利との下馬評を覆し、7−0。常総は会心のゲームで3回戦に進出します。ただこの一戦は2回戦最後の夕方の試合で、その次は翌朝の第1試合というスケジュールでした。
それでも木内さんは慌てるでもなく、「3回戦の2日目を引いたら決勝まで4連投になる。3回戦最初の試合なら、準々決勝まで1日半の猶予。いいくじを引いたな」と。
翌朝は4時起床でしたが、10時頃には試合が終わっていたので、そのとおり体を休められました。常総のマウンドをひとりで守ってきただけに、決勝進出に向けてプラスに働いたのは言うまでもありません。
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