茨城アストロプラネッツ・大友宗は名門社会人チームを辞め、なぜ「1年勝負」で独立リーグに来たのか? (2ページ目)
「野球をやっている以上は、日本の一番上の世界に行きたかったんです。日通で長く野球をやるなら外野手転向もあったかもしれませんが、NPBへ行くなら独立リーグで捕手として勝負したほうがいいと決めました」
大友の決断に反対する者もいたが、想像以上に応援してくれる人が多かった。入社と退社のタイミングが重なった同期の古田島成龍(今季からオリックス)とも、「お互い悔いなく野球やろうぜ!」と誓い合った。
一方で「日通での2年間がなければ、今の自分はないと思っています」と語るように、決して社会人野球で過ごした時間は遠回りではなかったと強調する。
とくに木南から学んだものは多くあり、「投手とのコミュニケーション、準備の仕方や捕手としての立ち居振る舞い。どれを見てもカッコいいなと思いました」と、間近で体感した"全幅の信頼を得られる捕手"は、大友の理想像のひとつとなっている。
また、打撃での安定感も日本通運時代の経験が大きい。帝京大では4年になってようやくレギュラーをつかんだが、春秋のリーグ戦を通じて打率.217とアピールできず、ドラフト指名漏れを味わった。
そこで入社後は積極的にいろんな選手に質問し、その結果「打撃を言語化することができました」と、三振や快打の理由がわかるようになり、それによって次の打席へのアプローチも見えてきた。そこに今年からは豊富な出場機会が加わったことで、4月は5試合でリーグトップタイとなる4本塁打を広角に打ち分けた。
【バウアーとのバッテリーを経験】
独立リーグに転身後、すぐに刺激的な経験があった。シーズン前にアメリカへ渡り、茨城球団の色川冬馬GMが代表を務めるトラベリングチームの『アジアンブリーズ』(※)に参加。3月11日には、浪人中だったトレバー・バウアー(前DeNA)とバッテリーを組み、ドジャースと対戦した。
※プロ契約やさらなるレベルアップを目指す選手に挑戦の機会や人生における選択肢を提供するため、アメリカ・アリゾナ州周辺でMLB傘下の球団などと試合を行なうプロジェクト
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